インターネット

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インターネットのせいで人間はどんどん馬鹿になっている。

webページを閲覧する人は、自分の興味のある記事だけを読みたいと思っている。なぜならば、インターネットというシステムがそれを可能にしたからである。運営する側も、利用者が、彼にとって興味のあるページしか閲覧しないことを前提として、サイトを作っている。そうしなければ、そのサイトは生き残れない。

つまり、馬鹿を相手にした商売しかできないようになっているのである。利用者が馬鹿であるときに、インターネットは最も効率化され、その真価を発揮するようになる。

たとえば教科書を読むときは、始めから終わりまでじっくり読まねばならない。そうすることで、知識を得ることができる。反対に、自分の興味のある部分だけを飛ばし読みしても、知識は頭に入ってこない。そういう本の読み方をする人間は、いつまでたっても馬鹿のままである。だから現代人は少しも賢くならない。本の読み方を知らない人間ばかりになってしまったからである。

インターネットは人間社会に何の進歩ももたらしていない。人間を退化させただけである。

2

現在のインターネット・SNSの環境下では、人はいやおうなく発言を強いられる。新しく発言をしないと、古い発言は簡単に押し流され、何も言わなかったことにされてしまう。そのため、みな懸命に発言を続けるようになる。

SNSの普及によって、個人が簡単に意見を発信できるようになったのは良いことだ、と言う人もいるが、実際は逆ではないか。我々はSNSの存在によって、発言を強制されているのではないか。言わなくてもいいことまで、口に出して人に伝えることを、SNSというツールが促しているのではないか。

口に出して言わないほうがいいこともある。そして、簡単に発言する機会が得られなければ、口に出す前に自分でよく考えるようになる。言うべきでないことまで言わせてしまう原因を、ソーシャルメディアが作っているのであれば、それは人間にとって有害である。

SNSがなければ言わずに済んだことを、SNSがあるために言ってしまったのだとすれば、その発言の原因を作ったのはSNSだ、ということになる。

ある人に何かを行う意図があったとしても、それを実現する手段がなければ、その意図は達成されない。そのとき、それを行いうる手段を提供する人がいたならば、その人には行為の結果に責任があると言えるだろう。

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