さとり

さとりは一つの体験である、と言われることがある。それも間違いではないが、正確ではない。さとりとは、一つの認識である。それは非常に明瞭で、輪郭のくっきりしたものである。

たとえば、はじめは壺に見えるが、よく見ると人の顔にも見える、というだまし絵がある。一度それが見えてしまうと、壺と顔の両方が見えるようになるが、壺しか見えていない人にとっては、どこに顔があるのか分からず、皆が何の話をしているのか分からない、ということになる。

さとりもそれと同じで、一度見えてしまえば何ということもないのだが、見えない人にとっては、本当にそんなものがあるのかどうかすら分からない。だが、それは確かにある。

あるいは、カンガルーを一度も見たことがない人に、それがどういう生き物なのか、言葉で伝えるようなものである。どれだけ詳しく説明しても、自分の眼で見るまでは、カンガルーが何であるのか、決して分からないだろう。

さとりも同様で、それを言葉によって伝えることはできない。自分の目で確認するしかないのである。

さとりを開いた人には、自分はさとりを得た、という認識が生まれる。そうすると、他の人がさとりを開いているかどうかも、ある程度分かるようになる。だから、一人でもさとりを得た人がいると、ごまかしはきかない。

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