責任

責任をとるとはどういうことだろうか。ある人が言うには、人間には、責任をとることなどできない。だから、できることを精いっぱいやればいい、のだそうだ。

そういう人の話をよく聞いてみると、「責任がある」という文を、「責任」という名詞と「ある」という動詞に分解して考えていることが分かる。次に彼は、この文は「責任」という名詞によって表現される何らかの抽象的なものが存在している、ということを意味しているのだ、というふうに分析を行う。そして、この責任なるものが存在したとして、それをいち個人に処理することができるのかどうか、という風に考察を進めて、そんなことはできるはずがない、という結論に到達する。

そもそも、そんな抽象的なものが存在したとして、それを見ることも触ることもできないのだから、人間に処理できないのは当然である。

こういう人は、言葉の正しい使い方を知らない。責任がある、あるいは責任をとる、という文が意味していることは、次の二つである。一つは、人に迷惑をかけないこと。二つは、自分の行いが間違いだと分かったら、それをやめて、正しい行いができるように努力することである。責任という言葉のこれ以外の使い方は、この基本的な意味からの類推によって理解されるべきである。

一つの文を単語に分けて考察しても、何の成果も得られない。それはただの言葉遊びである。

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