ハル・ノート

以前、太平洋戦争の開戦に際して、アメリカの外交政策にミスがあった、という話をした(東京裁判とアジアの開放)。ここではその続きをしたいと思う。

いわゆるハル・ノートにおいて、アメリカ政府は、日本政府に対して中国からの全面撤兵を要求している。それは、この要求をのまなければ、日本との交渉には応じない、というアメリカ政府の意思表示であった。

しかしながら、日本が中国と戦火を交えることは、何らアメリカの主権を脅かすものではない。戦争が差し迫った状況において、日本のアメリカ領土外への派兵に関して、その中止を交渉開始の条件として提示することは、果たして政治的判断として適切だったと言えるだろうか。この要求によって日米交渉が決裂し、戦争が始まってしまったのだから、これはアメリカ側の失敗と言わねばならない。ゆえに、太平洋戦争の責任はアメリカ政府にあると言える。


アメリカが、日本に対して中国からの撤兵を要求したことは、客観的に見れば不適切だったと言わざるをえない。ここで我々は、なぜ彼らがそのような要求を突き付けたのか、ということを考えなければならない。

この要求が正当化されるように見えるのは、日本とアメリカが、中国を植民地化するための競争を行っていた、と仮定した場合である。日中戦争によって日本が一歩リードしたように見えたが、日本が撤兵することで、日本とアメリカは横並びになる。それから交渉を始めるのがフェアである、というのが一つの理屈であろう。もちろんこの場合でも、アメリカの要求が適切だったと言えるわけではなく、心情的に納得できるにすぎない。

また、そもそもこの仮定は正しくない。日本が中国を植民地化しようとしていた、というのはアメリカ政府の見解であって、それが事実であったかどうかは別の問題である。どうしてアメリカがこのような見解を持つに至ったかということは、歴史をさかのぼって検討する必要がある。


日米交流が始まるのは、ペリーの来航によってである。この時点で、東アジアを除くほぼ全てのアジア地域が、西洋列強によって植民地化されていたことに注意しなければならない。アメリカはその頃ようやく西海岸に到達し、太平洋に乗り出したところだった。つまり彼らは、植民地獲得競争に遅れて参加してきたのである。

アメリカに残された取り分は、日本と朝鮮、中国くらいのものであった。その後、日本は自力で近代化を成し遂げ、朝鮮を併合してしまったので、中国以外にアメリカの取り分はなかった。その中国に、あろうことか日本政府が手を出そうとしていた。ゆえにアメリカとしては、本来自分たちのものになるはずだった中国を保護し、日本とのパワーゲームに勝利することが、アジアにおける基本政策となった。日本は、アジアにおけるアメリカの競争相手であり、仮想敵国と目されていたのである。

では、日本政府は、事態をどのように認識していたのだろうか。これに関しては、何とも言えない。日本が中国大陸に対して領土的な野心を有していた、という見方もあるが、日本政府に一貫してそのような意志が見られるかというと、そうとも言えず、むしろ担当者によってまちまちだったのではないかと思われる。

一方でアメリカの外交方針は一貫しており、表面上は中国の独立を支援するように見せながら、実際にはアメリカの利権を中国に食い込ませることに腐心していた。あるいは、列強のパワーゲームの中で有利な立場を得ることを目指していた、と言ったほうがいいだろうか。アメリカは常に、一種のゲームを演じるように、明確な目的をもって外交を行っていたように見える。しかし日本政府は、現実に直面するたびにうろたえ、その都度解決策を模索していた。

アメリカ政府にとって外交とは、いかにして本心を隠し、相手を出し抜くか、というポーカーゲームにすぎなかった。一方、日本政府にとって外交とは、当事者すべてにとって切実な問題を解決するための政治的な営みであった。ゆえに課題に直面するたびに右往左往し、内外の混乱を招いた。アメリカ政府は表面上は友好的だったが、本心は狡猾であった。日本政府は強硬な姿勢を見せることが多かったが、外交そのものは誠実だったと思う。少なくとも、日本の外交に嘘はなかった。だからこそ、日本政府の努力には一種の重苦しさがつきまとう。

その重苦しさとは、嘘を嘘と知りながら信じなければならない辛さである。日本政府は、アメリカ政府の本心を知っていた。イギリス政府の本心を知っていた。ドイツ政府の本心を知っていた。それを知りながら、彼らの白々しい嘘に付き合わねばならなかった。もちろん日本人は、彼らに騙されていたわけではない。ただ、それが嘘だという証拠がなかったのである。彼らは決して、彼らの言葉が嘘だということを認めなかった。ゆえに日本は、彼らの言葉を尊重せざるをえなかった。

アメリカは中国の友人であり、中国人のことを親身になって心配している。彼らはぬけぬけとそう言ってのけた。誰がそれを信じるだろうか。それが嘘であることは誰もが知っていた。だが、彼らは断じてそれを認めなかった。アメリカ人は、自分たちが中国の友人だと、本気で思い込もうとしていたのかもしれない。そして日本政府は、その嘘を受け入れた。


多くの日本人は、大東亜戦争の勃発を諸手を挙げて歓迎したそうである。それは倍返しの始まりだった。嘘つきどもを奈落の底に突き落とすための戦いが始まったのである。これほど痛快なことはない。その結果、たとえ白骨を荒れ野に晒すことになっても構わなかった。見送る者が一人もいなかったとしても、青蠅が弔ってくれるだろう。それが日本人の生き様だった。

それはつまり、ただ鬱憤を晴らしたかっただけではないか、と言われれば、その通りだった。だが人間は、そういうことでもないと、やっていけないものである。


議論をまとめよう。アメリカは、日本を中国争奪戦の競争相手とみなし、中国を奪い取るために戦争を始めた。しかし不思議なことに、アメリカが勝利を収めたあと、中国はアメリカの手を離れ、独立してしまった。

なぜそうなったかというと、アメリカ政府は、あの戦争の本質を把握していなかったからである。日本は中国を求めていたのではなく、欧米人を破滅させたいだけであった。あるいは正義を求めていたのだと言ってもよい。アメリカ人は、ゲームのルールをひっくり返されたのである。

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