学問の自由

学問の自由という言葉を最近よく目にするが、それを政府に保障してもらおうという考えがそもそも間違っている。学問は常に自由である。誰が何をしようが、私の学問を止めることはできない。政府が何をしようが、一人の学者が学問を続けることを阻止することはできない。学問は常に自由であり、それは単なる事実である。どんな権力者であっても、一人の人間から学問の自由を奪うことはできない。

そもそも、社会の秩序を実現するのは学問である。何が正しく、何が間違っているか、ということについて人々の意見が一致していなければ、社会の秩序は実現できない。それを明らかにすることが学問なのだから、学者の仕事が社会に秩序をもたらしているのである。いまの政治家は、その秩序を破壊することしかできない。そのようにまともな政治家がいなくなってしまったことも、学者の責任である。学者たちが政治家を育てることを怠ったから、おかしな人間ばかりになってしまった。我々はまず、そのことを反省しなければならない。

かつて伝教大師最澄は「衣食えじきの中に道心なし、道心の中に衣食あり」と言った。金がないから、食うものがないから学問ができない、というようでは、いつまでたっても学問は向上しない。金がなくても、食うものがなくても学問を続けるようになって、はじめて向上するのである。政府から金がもらえないから学問ができない、と泣きごとを言うような人間には、はじめから学問をする資格などない。

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