民主主義と真理

ある人がどう思おうが、正しいものは正しいし、間違っているものは間違っている。国民全体がどう思おうが、正しいものは正しいし、間違いは間違いである。ある人がどう思おうが、また、国民全体がどう思おうが、それとは全く無関係に、何が正しく、何が間違っているか、ということはあらかじめ決まっている。

国民全体が一足す一は三だと思っても、実際には、一足す一は二である。複数の人間の思いなしが一致するということと、それが正しいかどうかということとは、全く別の問題である。

民主主義とキリスト教は不可分のものである。何が正しいかを客観的に決定することはできない、という前提から出発することで、多数者の合意を最善の解として採用する、という民主主義的な考えが導かれる。

しかし、そもそも、何が正しいかを客観的に決定することはできない、という前提には、何か根拠があるのだろうか。そして、その前提が否定された場合、民主主義には一体どんな正当性があると言えるのだろうか。もしも、その前提に何の根拠もないのだとすれば、民主主義に普遍性があるとは言えなくなるだろう。しかし、そこにはいかなる根拠も存在しえないのである。

民主主義によって真理に到達することはできないし、まして、それが真理を保証することなどありえない。ゆえに、民主主義によって平和が達成されることもありえない。民主主義によって最善の選択がなされうる、という考えは、何の根拠もない、ただの迷信である。

では、真理とは何か。真理とは諸行無常であり、諸法無我であり、涅槃寂静である。真理とは何であるか、ということは、仏陀によって余さず解き明かされている。真理に到達するための手段についても、同様に余さず解き明かされている。

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