新型ウイルスについて(4)

1

人間の免疫系は、顔認証のような働きをする。

新しいウイルスが体内に入ってきたときに、免疫系はそのウイルスの顔を記憶する。そして、次に同じ顔のウイルスが侵入してきたときに、そのウイルスを選択的に排除できるようになる。

しかし、初めのウイルスと二回目のウイルスは、同じものではない。人間の体内に侵入したウイルスは、細胞内で増殖し、その一部が体外に放出され、別の人間に感染する。それは、生き物が子供を作るのに似ている。

一人の人間の体内で繁殖したウイルスは、その子孫を別の人間に送り込む。それが巡り巡って、また同じ人間のところに帰ってくることがある。そのように帰ってきたウイルスは、元のウイルスと同じものではない。同種のウイルスの別の個体が帰ってくるわけである。

それら二つのウイルスの関係が近ければ、我々の免疫系は同じウイルスだと認識できる。しかし関係が遠い時には、同じウイルスだと見抜けなくなる。

たとえば、親と子供ならば、顔が似ているので同じ一族だと分かる。しかしひ孫や玄孫の代になると、似ても似つかない顔に変わっているようなものである。ウイルスの世代が離れ過ぎると、同定が難しくなり、感染しやすくなってしまう。

昔からあるインフルエンザウイルスならば、感染のスピードはそれほど速くないので、ウイルスの世代交代もゆっくりと起きる。しかし新型ウイルスの場合には、感染のスピードが速いので、世代交代の速度も速くなる。

インフルエンザなら一年かかる変異も、新型ウイルスでは一週間で起きてしまうかもしれない。だから、一度できた抗体も、一週間で型遅れになりかねない。

また、私が感染したウイルスと、あなたが感染したウイルスは、同一のものではない。したがって、私の体内で生成された抗体と、あなたの体内で生成された抗体は、全く同じとは限らないのである。

ウイルスの変異に応じて抗体は変化しうるし、また、それぞれの人間の体質によっても、抗体の形は微妙に変わるかもしれない。事態は連続的である。

2

二十世紀初頭のスペイン風邪のときには、流行のピークは何度もあったという。それは、新型ウイルスが何度も生まれた、ということである。

集団免疫が獲得されたところで、ウイルスに変異が起き、古い抗体が無効化された。そして、新しいウイルスに対応する抗体ができたところで、またウイルスに変異が起きたわけである。

おそらくこれは、異なった人間集団の間で、ウイルスのやり取りが起きたために生じた現象であろう。

日本で流行したウイルスと、イタリアで流行したウイルスは、形がそれぞれ違う。したがって、それぞれのウイルスに対応する抗体も、互いに形が異なるだろう。日本での流行が収束しても、そこにイタリアからウイルスが持ち込まれると、また流行が起きる。逆に、日本のウイルスがイタリアに持ち込まれても、同じように流行が起きる。

こういった過程が何度も繰り返されることによって、ウイルスの性質はだんだん均一化し、流行は収束する。それまでに、ピークは何度もあるだろう。

3

我々は、まだ入り口に立っているに過ぎない。死者数四十万は過小評価かもしれない。

長期戦になれば、体力勝負になることは明らかである。そして体力をつけるためには、経済を再開せねばならない。経済活動の自粛は自殺行為である。

一度止まった経済を、元通りに再開させることは困難である。今動いているものを、そのまま動かし続けることと、その動きをいったん止めて、また動かし始めることは、全く別の問題である。

おそらく、一度止まった経済は、二度と元には戻らないだろう。我々は、新しい経済を一から作り直すしかない。

そのためにどれだけの犠牲が必要とされるか、私には想像もできない。あのときウイルスで死んでおけばよかった、と思う人間が、これから山ほど出てくるだろう。

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