朝鮮半島

1

太平洋は広い。広大である。その太平洋を挟んだ反対側にある極東において、アメリカの政治的な力が発揮されるということが、本当にありうるだろうか。

極東におけるアメリカの力は、本質的には日本の力である。日本が発揮する力に、アメリカという名札を貼り付けただけの、いわば産地偽装商品である。

朝鮮半島の政治的な情勢を決定付けているのは、アメリカとソ連の対立、つまり東西陣営の対立ではなく、日本と中国のパワーバランスであろう。

2

歴史的に考えてみよう。そもそも、どうして朝鮮は独立国なのだろうか。中国との地理的な近さから考えれば、朝鮮半島は、山東半島と同様に、中国の一地方になっていてもおかしくなかったはずである。それが独立国であり続けたのは、中国と拮抗するだけの力が朝鮮半島の反対側にあり、半島全体が、その緩衝地帯として機能したからであろう。

七世紀の朝鮮は分裂状態にあった。北には高句麗、南には新羅と百済があり、互いに抗争を続けていた。その中で、日本と中国も半島の情勢に深く関わっていた。日本は百済と手を組んで新羅を襲おうとしたが、逆に唐と新羅の連合軍に返り討ちにされてしまう。いわゆる白村江の戦いである。

本当は、日本は高句麗と手を結ぶべきだったのだろう。高句麗が唐の国境を脅かし、その軍隊を引き付けている間に、日本と百済の連合軍で新羅を叩けばよかったのである。もちろん当時の通信技術では、そのような大規模な作戦は実行不可能だったのだが。

では、現代ではどうだろうか。現代で考えるならば、日本は、韓国をけん制するために北朝鮮と手を結ぶべきだ、ということになる。これは少し滑稽である。

3

朝鮮戦争の経過を眺めていると、秀吉の朝鮮出兵と似ていることに気付く。秀吉の軍隊は、無防備な朝鮮に襲い掛かって、あっという間に戦果を拡大した。漢城・平壌などの主要都市を次々に制圧し、ほとんど朝鮮全土を平らげてしまったのである。しかし明の援軍が到着すると、秀吉軍は一転守勢に立たされる。その後、明・朝鮮連合軍に押されて日本側は慶尚道、釜山まで退却するが、慶長二年の再出兵で援軍が到着すると再び攻勢を強め、全羅道・忠清道まで兵を進める。この間の秀吉軍の動きは、朝鮮戦争における連合国軍の動きと、妙に似ているようである。

最終的に、秀吉の病死によって日本側は撤退することになるが、もしも朝鮮出兵が続けられていたら、朝鮮は南北二つに分裂していたかもしれない。中国に支援された北と、日本の影響下に置かれた南である。

しかし、事態はそう単純ではなかった。秀吉の侵略によって大損害を被った中国東北方面の防衛体制は、明そのものの弱体化もあって、容易に回復されず、それが満洲族の台頭を許してしまう。やがて、この地域において支配的勢力となった満洲族が、明に代わって中国を統一し、清王朝が創設されるに至る。つまり秀吉の朝鮮出兵は、全く意図しない形においてではあったが、世界史の流れに大きな影響を与えたと言えるのである。このパターンは、二十世紀初頭における日本とロシアの衝突の際にも、繰り返されることになる。

話が逸れたが、要するに、朝鮮半島は様々な力のせめぎ合いの場である。北にはロシア・モンゴル・満洲があり、西には中国、東には日本・アメリカなど、様々な勢力の綱引きが行われている。その中でも基調となっているのは、中国と日本の影響であろう。ゆえに、日中関係が安定したものとなれば、その分だけ朝鮮の統一も容易になると考えられる。

4

太平洋戦争における日本の降伏は、あまりにも唐突だった。日本は大陸から全面的に撤退し、そこに力の空白ができた。そのためアメリカは、日本の代わりに朝鮮に進出せざるをえなくなってしまった。日本人は、無責任にも朝鮮を放棄して、それをアメリカに押し付けたのである。この無頓着さが、問題を複雑にしている。

なぜ日本は降伏したのか。なぜ降伏できたのか。なぜ大陸における権益を、あっさりと手放すことができたのか。日本の降伏は、真珠湾以上の奇襲だったのではないか。


ここに見られるのは、日本人に特有の、自立の思想というべきものかもしれない。それは、自分のことは自分でやれ、という考え方で、最近では自己責任という言い方もされるが、自と他を厳密に区別するような思考である。

これは、場合によっては無責任とも取られかねないが、他者への必要以上の干渉を嫌うという意味では、個人の自律性を尊重する立場と言うこともできる。つまり、朝鮮のことは朝鮮人でなんとかしろ、あとのことは知らない、という態度であり、一度は自分が干渉したことだから、最後まで関わりを持とう、とは思わないのである。

どうもそういう性質が日本人にはあるようだ。なんというか、情がない。どこか割り切っているところがある。


たとえば、仮に、太平洋戦争が起きずに、かつ、朝鮮における独立運動がさらに過激化し、日本政府が朝鮮の独立を認めざるをえなくなったとしよう。そのとき、朝鮮半島では何が起きただろうか。

日本の統治下で朝鮮の近代化は進み、社会の構造は大きく変化していたと考えられる。そのような状況で、急に朝鮮に自治権が与えられた場合に、平和裏に安定した政権を樹立することが、果たしてできただろうか。何らかの政治的な混乱が生じることは不可避だったのではないか。このように考えてみると、朝鮮戦争には、内乱としての側面が少なからずあったのではないかと思われるのである。

5

朝鮮の分断を東西ドイツの分割と比較する人もいるが、それは少し違う。ドイツは、自らが行った戦争の結果として分割されたわけだが、大日本帝国統治下の朝鮮人には、参政権はなかった。完全にとばっちりだったのである。

日本が朝鮮人に自治権を与えなかったことは、ある意味では正しかったと思う。朝鮮人は政治好きである。彼らが集まるとすぐに党派を作り、政争を始める。そういう性格なので、自治権を与えれば与えるだけ、独立運動は激しくなったはずである。ゆえに、限定的に自治を認めるくらいなら、いっそ独立させた方がよかった。そう考えると、降伏を機に朝鮮から手を引くことができたのは、日本にとって幸運だったのかもしれない。

朝鮮人は日本の統治に反発していた。一方で、実生活においては、日本の統治機構を信用してもいたのではないか。当時の朝鮮に自治はなかったが、秩序はあった。日本の降伏によって、その秩序すらも失われたのである。

日本撤退後に起きた朝鮮戦争は、逆説的に日本政府の統治能力の高さを証明している。日本の統治下では、あのような大規模な混乱は起きなかったからである。これは台湾についても言えるだろう。日本の統治システムは、堅苦しく非効率的ではあるが、秩序を維持するという点では優れていたと考えられる。ベストではないが、ベターではあったのだろう。


また、おそらく日中戦争に関しても、同じことが言えると思う。日中戦争を侵略戦争ととらえる人には理解しにくいかもしれないが、日本軍占領下の各地域は、政治的・経済的にある程度安定していたのである。それはむしろ、国民党による統治よりもましだった、という評価すらありうる。

太平洋戦争終結後、蒋介石は、徳をもって怨に報いるという方針を取って、日本軍の撤退に協力する姿勢を見せた。しかし、それは本当に正しかっただろうか。日本軍が撤退することで、蒋介石は共産党と正面から対決せざるをえなくなった。それまでは三つ巴だったのが、一対一の構図になったのである。むしろ蒋介石としては、日本軍を大陸にひき留めて、共産党への当て馬にするべきではなかったのか。無論これは机上の空論であって、実現可能性はなかっただろう。民衆から一定の支持を得ていた日本軍を追い出さなければ、国民党の権力を確立することも不可能だったはずだからである。

では、なぜ日本は撤退したのか。中国の民衆から支持されていたのだとすれば、そのまま中国に居座って、国民党や共産党と覇権を争うことも不可能ではなかったはずである。蒋介石はそれを危惧していたからこそ、早々に日本兵を帰国させることにした。おそらく、アメリカも同様の懸念を抱いていたはずである。


日本の大陸からの速やかな撤退は、大きな謎である。大陸に全く未練がなかったように見える。それならば、はじめから大陸に手を出さなければよかったのに、とすら思われる。

多分このあたりに、日本人の戦略性があるのだろう。日本が大陸に手を出さなければ、いずれ他の列強にとられてしまう。そうなる前に我々が手を出しておくべきだ、という形の、相手の先手を取るという思考法が、日本を大陸へと引きずり込んでいったのである。ゆえに、そうしても自分の不利にはならないと悟ったならば、あっさりと手を引く。

つまり、あの時点で日本が大陸から撤退しても、もはや中国や朝鮮が植民地にされる心配はない、という判断があったからこそ、日本は降伏し、大陸から引き揚げたのではないか。アジアにおける植民地支配の根拠地は、日本軍の奮闘によって悉く破壊されていた。大戦終結時の状況から判断する限りでは、植民地支配の再開は不可能と言ってよかった。よって、それ以上大陸に居座る理由がなくなったので、日本に帰ったわけである。

しかしこれは、本質的に自分本位の考え方である。占領された相手のことなど全く考えていない。たとえばイギリス人などは、自分たちが支配していた植民地の人々に対して、ある種の愛情を感じていたはずである。我々が彼らを教育し、一人前の人間に育てなければならない、というような、人種的な偏見に基づいた歪んだものではあったが、父が子に対して抱くのと同じような感情があったように思う。一方で、日本人にはそういう感傷が一切見られない。自分は自分、人は人、という冷静な判断で動いていたのではないか。

朝鮮人はどこかで、日本に裏切られたと感じている。少なくとも、あのように唐突に、日本による統治が終わることなど考えていなかったのではないか。

これに関して、日本人は非人間的だ、という非難は当然ありうる。おそらく正しい非難である。実際、日本人は非人間的であり、非人情である。しかし、それも間違いではないと私は思う。


戦前の日本人の思考は徹底して戦略的であり、それは戦国武将の発想にも似ていた。ただ、彼らにとって勝手が違ったのは、相手が戦国的な思考を持っていなかったことである。日本人が経験してきた歴史を、中国人もアメリカ人も経験していなかった。その文化的なギャップは、いまだ十分に認識されているとは言えない。

我々は、実際にそうである以上に、相手を自分と同じ存在だとみなしていたのではないか。相手のことをよく知らないのに、知ったつもりになっていたのではないか。この混乱は、まだしばらく続きそうである。

6

朝鮮戦争の初期において、マッカーサーがなぜ、中国の参戦はありえないと考えていたのか、私には理解できない。そこには、深刻な自己認識の欠如があるように思う。

アメリカ人は、自分が侵略者であることを認識できていない。隣の家で無法者が暴れまわっているときに、自衛措置を取ろうとしない者がいるだろうか。アメリカが朝鮮戦争に介入した場合、中国が兵を出してくることは十分に予想できたはずである。

それができなかったのは、アメリカ人が常に、自分を善意の第三者だと思い込んでいるからだろう。彼らは、自分たちは善い意図をもって行動しているのだから、その結果も善いものに違いない、と考えている。行為の意図と、実際の行為とを区別できていないのである。

どうやらアメリカ人には、まだ自我が芽生えていないらしい。自分の立場を客観的に認識する能力が欠如している。そして、そのために愚かな間違いを繰り返している。

べつに、侵略者であることは悪いことではないし、それを恥じる必要もない。ただ、自分が征服した地域において、善政を布けばよいだけである。為政者が誰であろうが、一般市民の生活とは特に関係がない。彼が善政を行うならば、それでよいのである。

西洋人がどうして侵略を恐れるのか、私にはよく分からない。恐れるべきは、侵略者ではなく悪人だろう。

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