明治憲法と日本の国体

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明治憲法は立憲君主制を謳っていると言われるが、私には専制君主制であるように見える。なぜなら、陸海軍を統帥するのは天皇であると、はっきり規定されているからである。

しかし、実際に天皇が憲法どおりの振る舞いをしたことはなかった。おそらく維新の元勲が生きていたころには、阿吽の呼吸で国政が行われていたのだろう。そのため、この矛盾が表面化することはなかった。だが、彼らがいなくなると、明治憲法と現実の政治とのギャップを覆い隠すことができなくなってしまった。憲法が規定する天皇の大権は、本当に存在するのだろうか。それはいつになったら発動されるのだろうか。この問題は、昭和初期の日本の混乱と密接に結びついている。

昭和天皇は軍事に口を出すことをしなかった。しかし憲法によれば、統帥権を持っているのは天皇だけである。したがって、昭和初期の日本には、実質的に統帥権が存在しなかったことになる。陸海軍の指揮権が宙に浮いてしまった。これが、いわゆる日本軍の暴走の原因であり、昭和日本が克服しなければならない課題だったのではないだろうか。

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軍の統帥権は天皇が握っている。しかし、天皇に軍事的才能があるわけではない。このため、一時的な措置として、天皇以外の人間に統帥権を預ける仕組みが必要だったのではないだろうか。つまり、将軍システムである。

これは私の妄想でしかないが、石原莞爾を征夷大将軍に任命して、満洲と朝鮮を預ければよかったのではないか。そうすれば彼は中国を平定し、さらに西へと進んだであろう。歴史的な経緯から言って、日本の天皇には日本列島に引きこもろうとする傾向がある。そのような天皇家と日本国家の性格が、明治以来の大陸進出政策と衝突を起こしていた。これを解決するために、日本古来のシステムを利用するべきだったのではないだろうか。

日本人は馬鹿正直であるために、憲法を順守しようとするが、べつに憲法に縛られる必要はない。私が思うに、法治主義という思想は間違いである。全ての人間が法律に従わねばならないのだとすれば、誰が新しい法律を作るのか。誰が古い法律を廃止するのか。法治主義は実現不可能な考え方であり、常に正しいわけではない。昭和日本が克服すべきだったのは、法治主義という思想そのものだったのではないか。

大日本帝国は天皇親政でこそなかったが、それでもなお、天皇が果たした役割は重大であった。もしも秩父宮が天皇になっていれば、日本は全く別の歴史を歩んでいたであろう。アメリカ人は君主制を嫌悪するあまり、過去にさかのぼって君主制の存在そのものを否定しようとする。しかし、我々は、そのような見方に与するべきではない。歴史においてそれぞれの個人が果たした役割を、正当に評価しなければならない。

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石原莞爾は帝国軍人の分を守り、国体への不満を漏らしたことなど一度もなかったし、そんなことは考えもしなかっただろう。しかし、彼の中には確かに、統帥権への欲望があったように思われる。

ナポレオンの研究者として、彼のような独裁者になりたい、と思うこともあったかもしれない。だが、彼は結局何も言わなかったし、独裁者になろうとはしなかった。そこに、帝国日本の優れた精神性があったと私は思う。

石原莞爾は恥を知る人であり、自分の本心は決して口に出さなかったのだろう。

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