農村の過疎化と江戸身分制

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物理学をやっていた私が仏教に手を出したと言うと、そうやって色々なものをつまみ食いするよりは、一つのものを突き詰めたほうがよい、と訳知り顔で言われることがある。だが、一つの道を究めると、それは自然と別の道につながっているものである。終着点から見返せば、すべての道が一つであることが分かる。そこに区別をつけるのは人間の作為でしかない。

最近では、現代社会の行き詰まりを打開するヒントを得るために、日本中世の歴史を調べている。ずいぶん変なことをやっているなあと思う。

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藤木久志氏の『雑兵たちの戦場』によれば、秀吉が天下を統一した後、戦争で食いつないでいた下級の武士たちには行き場がなくなり、それらの浪人をどこで働かせればよいか、ということが大きな社会問題となっていたらしい。

解決策の一つは海外への進出で、朝鮮出兵や、東南アジアに傭兵として赴くことで仕事が得られた。もう一つは公共事業であり、大阪で城を作るなど、大規模な土木工事を進めることで失業者対策をしていたのだという。

さて、こういう話をしておきながら、あまり歴史とは関係ないことが気になっている。公共事業が景気を刺激するとか、それが富の再分配に繋がるという話をよく耳にするが、それは本当だろうか。秀吉の例でいえば、城を作ることによって一時的に職にありつける人間は増えるが、城が出来上がったら元の無職に戻ってしまうのではないか。つまり、公共事業が経済効果を持つとしても、それは一時的なものであって、根本的な解決にはならないだろう。

たとえば、国家が裕福な商人から税金を取り、それを国民に還元するならば、富の格差は小さくなると言えるだろう。しかし、そもそも国が、すべての国民から同じように税金をとるのだとすれば、公共事業によって富の格差を減らすことはできない。では、公共事業の持つ意味とは何か。

それは、国土の創造以外にはありえない。国民が生活する場所を新しく作り出すことが、公共事業の公共性なのだろう。

だが、城を作った人夫は城に住むわけではない。彼らはその後、どうなったのだろうか。多分、そのまま町に住みついて、ずっと人夫をやっていたのかもしれない。工事は多かれ少なかれいつでもあるのだから、労働力は常に必要だったはずである。公共事業はやはり景気の起爆剤というか、経済を活性化させるためのきっかけとして必要なのだろう。

町を作るなら見た目は大事である。中央に立派なお城が立っていれば、そういうハイソな町に自分も住みたいと思うものである。そうして町ができて、町があると仕事も出てくる。

そこで課題となるのが、農村から町への人口の流出である。戦国・江戸時代の経済基盤は農業なので、農民が耕作をしなくなると経済は崩壊する。そのため、農民の町人化を禁止する必要が出てくる。そうして身分が固定されるようになるが、それは理念としてではなく、むしろ実際上の必要から生じたものだろう。ゆえに、身分制は建前であって、実際は流動的なものだった可能性がある。

また、失業者対策としての戦争は中国にも例があって、かつてモンゴル帝国が南宋を滅ぼしたとき、南宋に仕えていた大量の軍人たちは路頭に迷うことになった。彼らに仕事を与えるために、日本侵略が企てられたという説がある。日本が取れればそれでよいし、失敗しても口減らしになる、というわけである。もちろん秀吉の場合、負けるつもりなど毛頭なかっただろうが、武士たちの稼ぎのために戦争をせざるをえない事情はあったのだろう。

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都市への人口流出と農村の過疎化は、現代にも通じる問題である。ただ現代では、農村の役割が中近世ほど大きくはないため、この問題に対する国民の危機感は薄い。農作物は自国で作らずとも、外国から輸入することができる。ゆえに、農村が空洞化しても国民は困らない。現代においては、都市から農村へ人を返す動機が少ないのである。

日本は土地が狭いため、大規模農業には向かない。収穫量が少なく、国際競争力が弱いので、外国産に押されてしまう。もちろん日持ちのしない青果などは、輸入に頼ることはできない。そのため農家の仕事がなくなることはありえないが、もはや日本を支える産業ではなくなっている。

なぜ農業の地位がこれほど低下したのかといえば、機械化が原因である。人間にとって、今も昔も食物の重要性は変わらない。だが、様々な機械の発達によって、それほど人の手を使わなくても、大量の作物を生産できるようになった。そこで多くの人間が農業を離れ、商工業に従事し始めた。一日三食たらふく食べられるのは当たり前で、それ以上の価値を求めて、現代人は働いている。

この社会を嘆くのは簡単である。現代人は物質的には豊かになったが、精神的には江戸戦国に遠く及ばない。人間の知性は退化し続けているように見える。それでも、この社会を変えるためには、まずこれを肯定しなければならない。その上で、ここからどう変わってゆけばよいかを考えねばならない。

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現代人は何のために働くのか。答えは明確で、戦争に勝つためである。現代においてはもはや、自分が飢える心配をしなくてもよい。近代以前は、すべての人間が食うために労働をしていた。だが、現代の労働は食うためではありえない。では、現代人は何のために汗水たらして働くのか。

それは、自国の国力を強めて、他国との競争に勝つためである。現代人にとって一番の心配事は、飢えて死ぬことではなく、戦争で死ぬことである。あるいは、経済的に搾取される側に回り、誰からも慈悲をかけられずに、見殺しにされることである。現代社会を支配しているのは競争の原理であり、そこではどれだけ食物が豊富にあっても、貧者の側に回れば何も手に入れることはできない。

これは、近代以前の社会とはまるで異なった状況である。中世日本では飢饉や災害による死者が多かったが、それは貴族も例外ではなかった。貴族が富を独り占めしたせいで百姓が死んだのではなく、そもそも食料が足りずに皆が餓死したのである。ところが現代の社会では、食料は十分に足りているにもかかわらず、その分配が正しく行われていないために、一部の人々が富を独占する一方で、他の人々は貧困に苦しみ、疾病や栄養失調で命を落としている。情けないことである。

すべての原因は自由主義である。ある人が他人を助けようとすると、自由主義者はその隙に付け込もうとする。この世界は弱肉強食なのだから、隙を見せるのが悪いのだ、という理屈である。こういう人間が一人でもいると、助け合いは上手く機能しない。この世界のルールは自由競争であってはならない。助け合いこそが基本原則でなければならない。

共産主義者は理想社会を目指したが、資本主義陣営からの激しい攻撃にさらされ、ついにその姿を消した。自由主義者は、すべての競争相手を滅ぼさなければ安心できない。自分が負け組になれば、見殺しにされても文句は言えないからである。もちろん、共産主義者の方にそんなつもりはなく、すべての人類に手を差し伸べるつもりでいたのだが、自由主義者は他人を信用することができない。彼らは、どんな相手でも見境なく攻撃し続けた。

共産主義者は、あまりにも優しすぎたと言わねばならない。本当は、自由主義者は根絶やしにされねばならなかった。共存の余地などありえなかったのである。自由主義者に慈悲をかけてはならない。この世界に一人でも自由主義者がいる限り、平和は実現できない。


かつて周の武王が、放蕩の限りを尽くした殷の紂王を牧野の戦いで打ち破ったように、我々はいま、自由主義との戦いに臨まねばならない。天下に平和をもたらすために、我々は過去と決別し、自由主義の唱道者であるアメリカを、完膚なきまでに叩き潰さねばならない。西洋文明は無知の文明である。彼らを教化することは難しい。

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