GDPと社会

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九十年代以降のアメリカのGDPの伸び率は、普通ではない。日本のGDPはほぼ横ばいだが、アメリカは右肩上がりに伸び続けている。

八十年代には、日本の製造業はアメリカの製造業を凌駕していた。敗北を悟ったアメリカは、自国の産業を情報技術の方へと転換させることにした。これが図に当たり、今ではIT産業の業績が、アメリカのGDPを押し上げている。


その結果、アメリカ社会はどうなっただろうか。所得の格差が増大し、社会の分断は回復不可能なほどに広がってしまった。

実際には、仕事の価値をお金で計ることはできない。トラック運転手の仕事と、商品開発の仕事は全く異なるのであって、これらを同一の基準で計ろうとすることが、そもそも誤りである。

運転手よりも開発者の収入が多いならば、後者の職が増えればGDPは増すだろう。だが、それによって社会の構造が変化することは避けられない。社会にとって必要な仕事が、必ずしも収入が多いわけではない。しかし、ただGDPを増やすだけならば、必要な仕事を切り捨て、不必要な仕事を増やしたほうが効率が良いのかもしれない。

同一の労働時間で、低付加価値の商品を十個作るよりも、高付加価値の商品を一個作るほうが、利益が大きいとしたら。生活必需品よりも、贅沢品を作るほうが、利益率が大きいとしたら。国民が必要とするだけの物資やサービスが生産されているかどうか、監視する人間がいないとしたら。下層階級の人間に食うや食わずの生活をさせて、上流階級の人間がせっせと贅沢品を生産したほうが、そうでない社会よりもGDPが増えるとしたら。もしも、GDPが増えれば増えるほど国民は幸せになる、という神話が誤りだったとしたら。

しかし、それが誤りであることは、今のアメリカを見れば明らかである。アメリカは敗北を恐れるあまりに、自らを奴隷化してしまったのかもしれない。

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男女が共に働くようになったからといって、GDPが二倍になるわけではない。GDPが同一のまま、労働人口が二倍に増えれば、一人あたりの給料は半分になる。女性がフルタイムで働いても、彼らが得られる賃金は、かつて男性が貰っていた額の半分に留まる。

男性の方でも事情は同じだから、結局、夫婦が共働きでないと家計を維持できなくなる。このとき女性からは、すでに専業主婦という選択肢は奪われている。家事と育児をこなしながら、フルタイムで働く以外に選択肢はない。男性が家事を手伝うことになっても、事情は変わらない。仕事の量は二倍、給料は以前のままである。

夫から解放された女は、貨幣という新しい主人と出会った。貨幣は夫よりも更にきつく女たちを縛る。そこに魅力を感じるのだろう。女性たちは、よりよい主人を選ぶ自由を手に入れたわけである。もちろん、それが彼女たちの望みであれば別に構わないのだが、少しは他人の迷惑も考えてもらいたいものである。


貨幣がどこから来てどこへ行くのか、誰も知らない。貨幣の本質は不可思議であって、それを量り知ることは誰にもできない。貨幣がどのように増殖し、どのようにものの値段が決められるのか、それを知ることができると考えることが誤りである。それは不可知である。なぜならば、貨幣とは空であり、それは仏の智慧と等しいからである。

<参考>
マルクスについて
男女平等とは何か
資本主義とAI
格差社会

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