最近の中国について

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以前、上野の博物館で故宮博物院展というのをやっていて、見に行ったことがある。かなりすごかった。国宝級の文物が惜しげもなく公開されていて、圧倒された覚えがある。あれは中国そのものだった。

故宮博物院が台湾にある意味は大きい。あれがある限り、台北は中国の首都だと言ってよいと思う。共産党が台湾にこだわる気持ちも分からなくはない。

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最近の中国では、監視社会が進んでいるらしい。しかし、監視システムがうまく機能すればするほど、そのシステムの管理者の権限は大きくなるだろう。つまり、賄賂をもらい放題である。お前の息子がこういうことをしていたのを見たけど、上には報告しないでおいてやろうか、などと言って、いくらでもたかりができるわけである。

日本人と中国人では、賄賂や汚職に対する感覚が全く違う。中国の官僚は伝統的に、朝廷からあまり給料をもらわない。地方官は皇帝に命じられて任地に赴くのだが、給料は基本的に現地調達である。地元の有力者とコネを作ったり、その商売に協力したりして、自分で稼ぐしかない。

日本的な感覚からすれば、それは汚職と紙一重だが、中国ではそれが普通である。公権力のあり方が日本とは全く違う。なので、どこまでが職務の範囲で、どこからが職権の濫用なのか、判断が難しい。

そういう国で監視社会が発達するということは、結構恐ろしいことだと思う。それは、恐怖政治を生むというよりは、社会の不合理を助長するだろう。もしかすると、すでに民衆の不満は高まっているのかもしれない。香港で起きたような抗議活動は、中国本土の民衆の気持ちを代弁しているのではないか。

習近平の政権が安定しているために、かえって中国の内部事情が見えにくくなっている部分もある。いま、中国はどうなっているのだろうか。

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以前、香港のデモ参加者が、黒い服を着た男たちに襲われる動画が、ネット上に出回ったことがあった。私はあれを見て、妙に納得してしまった。中国の歴史を調べていると、文化大革命の頃に、都市部でさかんに武闘が行われた、という記述が出てくる。武闘とは何のことだろう、と不思議に感じていたのだが、あの動画で理解できた。

中国社会の本質は、個人対個人の終わりなき闘争である。政治の場ではそれが最も顕著に現れ、物理的な暴力にまで発展する。おそらく、文革のころは思想の違いを理由に武闘が起きていたのだろう。一方で、香港の問題はもっと単純なもののようであり、また、その規模も全く違う。しかし、中国という社会の本質は変わっていないのだなと思う。

中国社会を変えようと思うべきではない。民主化が実現すれば中国も変わるだろうとか、共産主義をやめれば変わるだろうとか、そんな単純な話ではない。中国を根本から変えようと思うならば、少なくともあと十世紀は必要である。そう簡単に変わるものではない。

戦前の日本人も同じ間違いを犯したのだと思う。彼らは性急に中国を変えようとして、結局戦争になってしまった。我々は、同じ轍を踏んではならない。

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