キリスト教と殉教

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キリスト教は撲滅されるべきである。最も良いのは信仰を捨てさせることだが、それができない場合は、物理的に排除することも考えねばならない。

私自身は魂の存在を信じない。しかし、それが存在しないという証拠はないので、ある人が魂は存在すると信じるならば、彼の意見は尊重されねばならない。

したがって、キリスト教徒を殺しても殺人罪には当たらない。なぜならば、彼は死んでいないからである。体が壊されても魂は無傷なのだから、せいぜい器物損壊の罪に問うことしかできない。

また、キリスト教では、殉教した者は天国へ行けることになっている。よって、キリスト教徒を殺すことは悪いことではない。相手にとって良いことをしてやっているのだから、それは悪いこととは言えない。

基本的に、キリスト教徒をキリスト教徒だからという理由で害する場合、加害者を罪に問うことは難しい。

仏教では、人間の口には斧が生えていると言う。その斧は、他人を傷つけるためではなく、自分自身を傷つけるためにある。

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私は今までキリスト教のことをさんざん悪く言ってきたが、異議がある人は是非反論してほしいものである。

そのためには、まず三位一体が何であるかを説明してほしい。三位一体という概念は難解であることで知られているが、実際にそれを理解している人間は一人もいない。今もいないし過去にもいなかったし将来にも現れないだろう。なぜならば、そもそも意味がないからである。三位一体というのはペテンの道具であって、何か小難しいことを言って人を煙に巻こうという詐術に過ぎない。初めから意味がないのだから、理解できるはずがない。

それが理解できているという人間がいるならば、私にも分かるように説明してほしい。それで私が納得したならば、私は自分の意見を取り下げよう。しかし、もしも私を納得させることができなかったならば、キリスト教を信じることは許されないと理解するべきである。

一足す一は三である、という考えが誤りであるのと同じように、キリスト教も誤りである。そのような誤った考えを人々の間に広めようとすることは、許されることではない。自分一人で信じている分にはまだよいが、それを人に広めようとすることは絶対に許してはならない。

<正義とは何か 終>

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