東南アジア

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私はあまり東南アジアには詳しくないのだが、知っている範囲で私の意見を述べたい。

まず、東南アジアは政治的に不安定な地域である。様々な民族や宗教が入り混じり、文化的にも混沌としている。

その中でも重要なのは、東西の対立であろう。インドシナ半島という名前からも分かるように、この地域はインドと中国の間にあり、両地域からの文化的、政治的な影響を強く受けてきた。そのため、東寄りの国々は中国からの影響が強く、西寄りの国々はインドからの影響が強い。その境目にあるのがカンボジアである。


紀元前後からベトナム北部には中国人が入植し、南海貿易の拠点として大いに栄えた。やがて彼らは南部を征服し、ベトナムは南北に長い国土を持つようになる。カンボジアはベトナムのすぐ南に位置するが、ある意味では、ベトナム人の征服事業の最先端にあるとも言える。

一方で、西には大国タイがある。タイはインド風の文化を持ち、国民は小乗仏教を信仰している。東南アジアでは唯一、欧米による植民地化を免れた国である。彼らはベトナムの動きを警戒し、米国と同盟を結ぶなどして、軍事力の強化に努めているように見える。

タイとベトナムという二つの強国が、カンボジアをめぐって争いを繰り広げている。それが、私が理解する東南アジアの政治状況である。


タイは、昔は日本と同盟を結んでいた。いわゆる枢軸国の一員だったわけである。その理由は現在と同じで、東南アジアのパワーバランスを保つためだろう。つまり、現在タイが米国と親密な関係を築こうとしているのは、日本の軍事力があてにできないからである。

しかし、その戦略は基本的に不安定なものである。なぜならば、そもそもアメリカは遠く、東南アジアにそれほど関心があるわけではないからである。また、いつ態度を変えるか分からないという問題もある。大統領が変われば、外交方針が百八十度変わることも珍しくない。

つまり、もしも、日本がかつてのような軍事力を持つようになり、東南アジアにおける覇権を確立するならば、この地域の政治的な安定性は増すだろう。それが、日本が本来果たすべき役割であることは間違いない。日本は覇権国家でなければならない。それは、地域の秩序のために必要なことである。

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アセアン内部のもう一つの対立は、北と南の対立だろう。タイやベトナムなどは経済的にも発展し、文化的にも豊かな国である。一方で、マレーシアやインドネシアはいまだ発展の途上であり、アセアン内部での発言力も低いように見える。

ここにはまた、宗教の問題もあるのかもしれない。タイとベトナムは、小乗と大乗の違いはあるが、どちらも仏教国である一方、マレーシアとインドネシアではイスラム教が優勢である。

また、これは偏見かもしれないが、半島の国々のほうが長い歴史を持っていて、島嶼部の国々は歴史が浅い、という印象がある。それは、島における交通の不便さゆえに、社会組織が十分に発達しなかった結果だろう。


この地域の社会の形成において、日本人が果たした役割は無視できない。これらの地域では、大東亜戦争中に日本の統治下に入ることによって、はじめて組織的な社会が形成されるようになった。つまり、東南アジアの一部地域の歴史は、大東亜戦争を起点にしていると言えるのである。

日本人の目から見ると、東南アジアの歴史は、曇りガラスの向こうにあるようで、その正体がつかめない。そこで、一つの基準を定めて研究を進めることは大事だと思う。その基準は大東亜戦争である。この決定的な転換点を粗略に扱ってきたために、歴史が像を結ばなくなっていたのである。

我々は、研究の足場を作るために、一度ナショナリストに戻らねばならない。善悪という概念で歴史を裁く必要はない。ただ事実を明らかにするだけでよい。

3

ここで、中国は覇権国家たりうるか、ということについて考えてみたい。現時点では、それは難しいと言わざるをえないだろう。香港の例からも分かるように、共産党は国内の秩序を維持することで手いっぱいであり、地域の覇権まで維持する余力はない。

また、アメリカの覇権国家としての地位にも不安がある。経済的にはいまだ繁栄を続けているように見えるが、国内の政治的な混乱は収拾がつかず、それが外交に及ぼす影響も無視できなくなっている。

覇権とは国際的な秩序であり、その秩序が諸国間に繁栄をもたらす限りで、覇権は正当化される。アメリカの経済的・軍事的な力は覇権国家としての資格を満たしているが、政治的な安定性を著しく欠いているという点で、もはや覇権国家としてふさわしいとは言えない。したがって、日本が覇権を握るべきである。

4

東南アジアにはもう一つ重要な要素がある。それは華僑の存在である。ここで我々は、かつて日本が占領下のシンガポールで行った、華僑の虐殺について考えてみなければならない。

華僑は、数の上では少数派だが、政治的・経済的には東南アジアの支配階級と言ってよい。そのため日本軍は、自らの覇権を確立するために、華僑の存在を物理的に排除せざるをえなかったのである。それはもちろん、当地の華僑にとっては憎悪と恐怖の対象でしかなかっただろう。しかし、華僑以外の現地人にとっては、支配者同士の権力闘争に過ぎなかったのではないか。

もしも日本が、私がここで述べたような政策を実行する場合、華僑のコミュニティがどのような反応を示すか、あらかじめ調査しておかねばならない。華僑の存在は、経済的には非常に重要であり、その活動を阻害するべきではない。しかし、その政治的な動向には注意が必要である。


日本人と中国人の衝突には、文化的な要素が強く影響している。

中国は血縁社会であり、血縁集団が社会の中核を担っている。一方で、日本は非血縁社会であり、非血縁的な利益集団が社会の中核を担っている。

日本の封建社会では、武家の棟梁が、養子を後継者に指名することは当たり前だった。それは、血縁を重視する中国社会では、ほとんど見られないことである。華僑が重視するのは血縁集団の利益であって、それは排他的な集団を構成する。もちろん、日本的な非血縁集団にも特有の排他性と団結力があるが、その現れ方は少し異なる。はっきりしたことは言えないが、華僑のネットワークは、血縁を基調とするために地域性を持たず、様々な地域にまたがって広がる。それに対して、日本人のネットワークは地域性を基調とするのではないか。

このように、集団を動かす論理が互いに異なる場合、コミュニケーションの齟齬が衝突に発展することがある。相手の行動を理解するためには、まずその原理を知らねばならない。


中国人は国家を志向しない。ゆえに、日本という国家と対立するものとして、中国を考える必要はない。中国は血族の集合体でしかなく、それは必ずしも日本人の国家意識と衝突しない。つまり、我々は隣人として共存可能である。日本人が提供する覇権が中国人に利益をもたらすならば、彼らはそれに反対しないだろう。日本と中国は排他的な概念ではない。

しかしながら、西太平洋からインド洋にかけての覇権を維持するためには、少なくとも空母数隻と護衛艦数十隻、それに空母艦載機数百機が必要となるだろう。その金をどこから調達すればよいのか、皆目見当がつかない。

だが、基本的には、日本には覇権国家としての資格も能力も十分にある。あとはやる気の問題である。

<参考>
中国を封じ込める
米中戦争
忠と孝

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