現代語訳大智度論 第二巻(上)

(大智度初品總説如是我聞釋論第三 第二巻)

次に、「如是我聞一時」を総説する。

仏が一切智をもつ人であり、師匠につかず、他の教えに従わず、他の法を受けず、他の方法を使わず、他の言うところに従わずに、自然に悟りを開き、教えを説くのならば、どうして「このように私は聞いた」と言うのか。

あなたの言うように、仏は一切智をもつ人であり、師匠につかず、他の言うところに従わずに、自然に悟りを開き、教えを説く。ただし、仏の口から説かれることだけではなく、世間の全ての真実、善い言葉、微妙な言葉、好ましい言葉は、仏の教えから出てくるものである。

仏は戒律のなかで次のように説いている、

「何が仏の教えだろうか。仏の教えには五種類ある。一つ目は、仏の口から出た言葉であり、二つ目は仏弟子の言葉であり、三つ目は仙人の言葉であり、四つ目は神々の言葉であり、五つ目は、仏が神通力で作り出した人の言葉である」。

また次に、『釋提桓因得道経しゃくだいがんにんとくどうきょう』には次のようにある。仏はインドラに告げた、

「世間の全ての真実、善い言葉、微妙な言葉、好ましい言葉は、私の教えから出ている」。

次のような仏を称える詩がある、

『世界にある善い言葉は、みな仏の教えから出たもので、よく説かれ、過失がない。仏の言葉が他のところにあると言っても、それは善い言葉であって、過誤はない。

全ては仏の教えに由来する。たとえ、外道の教えの中に好ましい言葉があっても、それは木を食う虫が偶然に文字を書いたようなものである。

彼の説は、初めと中間と終わりが互いに食い違っており、たとえその中に善い言葉があったとしても、鉄から金が出てきたようなものである。誰が信じようか、伊蘭いらん(美しい花だが悪臭を放つ)のなかから牛頭山ごずさん栴檀せんだん(かぐわしい香木)が出、苦しみの種から、甘く美しい善の果実が実ることを。

たとえ信じることができたとしても、この人は、外道の経典から好ましい真実の言葉が出てくると信じてしまうだろう。

しかし、種々の好ましい真実の言葉は、すべて仏から出てくる。たとえば、栴檀香せんだんこう摩梨山まりせんに産出し、他の山からは取れないことと同じである。このように、仏を除いては、真実を語るものはいない』


また次に、「このように私は聞いた」は、アーナンダ(阿難)などの仏の大弟子たちが仏の教えを説明するために、仏の教えをこのように名付けるのである。

仏が般涅槃はつねはん(入滅)した時のことである。仏はその時、クシナガラの沙羅双樹さらそうじゅの下に、頭を北に向けて横たわっていた。まさに涅槃に入ろうとしていた時、アーナンダは親族(彼は釈迦の従弟だった)に対する愛が抜けきらず、いまだ欲望にとらわれていたために、心は憂いの海に沈んで、抜け出すことができなかった。そのとき、アヌルッダ(阿泥盧豆)長老がアーナンダに語った、

「あなたには、仏の教えを守り伝える役目がある。普通の人と同じように、憂いの海に沈んだままではいけない。あらゆる現象は無常であるから、あなたは憂いの中に閉じこもってはいけない。仏は手ずからあなたに教えを授けたのに、今あなたは憂いに悶え、仏から受けた教えを失おうとしている。

あなたは仏に尋ねなさい、仏が般涅槃したあと、我々は誰を指導者として修行を行い、口の悪いチャンダカ(車匿しゃのく。出家前の釈迦の御者で、後に仏陀の下で出家したが、口の悪さが改まらなかった)とどのように共に修行し、仏の教えを伝えるときに何という言葉で始めればよいのか、と。これら種々の未来の問題を、仏に尋ねなさい」

と。アーナンダはこれを聞いて、心の悶えが少し治まり、自身の集中力に助けられ、仏の末期の寝床のそばに座って、これらのことを尋ねた。仏はアーナンダに告げた、

「私がいなくなった後も、これまでと同じようにしなさい。自分自身をたよりとし、教えをたよりとし、他のものをたよりとしてはならない。

自分自身をたよりとし、教えをたよりとし、他のものをたよりとしないとは、どういうことか。修行者たちは内身を観察し、常に知恵に専念し、努力して世間の貪りや憂いを除きなさい。外身と内外身も同様である。受念処、心念処、法念処も同様である(四念処)。これが、自分自身をたよりとし、教えをたよりとし、他のものをたよりとしない、ということである。

今日からは解脱戒経げだつかいぎょうが師匠である。解脱戒経が説く通りに、身体と言葉によって行いをしなさい。

修行者チャンダカは、私が涅槃した後は梵法(他の修行者と会話をさせない罰)にして、心が柔軟になったら、『那陀迦旃延経なだかせんえんぎょう』を教えなさい。そうすれば、悟りを得られるだろう。

また、私が三阿僧祇あそうぎ(数えきれないほど大きな数)こう(非常に長い時間)の間に集めた教えの宝を説くときには、『このように私は聞いた。あるとき、仏は、ある方向、ある国、ある場所の樹林中にあった』という言葉で始めなさい。なぜなら、過去の世界に現れた諸々の仏の経は、皆この言葉から始まり、未来の世界に現れる諸々の仏の経も、この言葉を初めとし、現在の世界の諸々の仏も、般涅槃するときに、この言葉を唱えることを教える。私が般涅槃した後も、経を『このように私は聞いた。あるとき・・・』で始めなさい」。

それゆえ、「このように私は聞いた」という言葉は、仏が弟子たちに教えたものであって、仏自身が言ったことではない。

仏は一切智をもつ人であり、師匠無く、自然に悟りを開いたのだから、「私は聞いた」と言うはずがない。もし、仏が自分で「このように私は聞いた」と言ったのだとすると、仏には知らないことがあったのだ、という困難が生じるだろう。アーナンダは仏に問い、仏はこの語を教えた。「このように私は聞いた」は弟子の言葉だから、過失はない。


また次に、仏の教えを世間に久しく根付かせるために、長老マハーカーシャパ(摩訶迦葉まかかしょう)などの阿羅漢はアーナンダに問うた、

「仏は初めにどこで、どのような教えを説いたのか」。

アーナンダは答えた、

「このように私は聞いた。あるとき、仏はワーラーナーシー(ベナレス)のサールナート(鹿野園ろくやおん)にいた。五人の修行者のために、苦しみの聖なる真理を説いた。私は他の教えに従わず、正しい観想の中で、知恵明らかにして悟りを得た」。

『集法経』は次のように説いている。仏が涅槃に入る時、地面は六種に振動し、多くの河川が逆流した。突風が荒れ狂い、黒雲が四方から起こった。雷が鳴り響き、稲妻が閃き、雨や雹が突然降り注いだ。あちこちに星が流れ、獅子や恐ろしい獣が吠えたけり、神々は大いに泣き叫んだ。神々は次のように言った、

「どうして仏は、これほど速やかに涅槃に入ってしまうのか。世間の眼が無くなってしまった」

と。この時、すべての草木や薬草、花や葉っぱは、いっぺんに引き裂かれた。山々は揺れ動き、海水は波立ち、大地は振動し、崖は崩れ、樹木は砕け折れ、四方に煙が立ち、とてつもなく恐ろしかった。湖や池、川は乱れ濁り、彗星が昼間に現れ、人々は大声で泣きわめき、神々は憂愁に沈んだ。女神たちは心がふさがり、涙にむせんだ。学生たちは黙りこくって楽しまず、無学(修行完成者)の人々は、すべての現象は無常であることを心に念じた。

このように、天人、夜叉、羅刹、ガンダルヴァ、キンナラ、マホーラガや龍などは皆大いに憂い悲しんだ。諸々の阿羅漢は老いと病と死の海を渡り、心に念じて言った、

『すでに凡夫の恩愛の川を渡り、老病死の切符は破られた。私の体は、箱の中の蛇のように厭わしいものである。今すぐに無余涅槃に入ろう』。

諸々の大阿羅漢は、それぞれ思いのままに山林や泉や渓谷に身を投げて涅槃に入った。他の阿羅漢は、空中に浮かび上がって飛び去り、涅槃に入った。それはまるで、鴈の王が種々の神通力を現して、人々の心を清浄にするようであった。

すべての天界の神々は、阿羅漢たちが息を引き取るのを見て、心に念じた、

「太陽のようだった仏はすでに沈んでしまった。種々の禅定(瞑想の修行)・解脱・知恵ある弟子の光もまた消えてしまった。

この世界の人々には、貪欲や怒りや愚かさの病がある。教えという薬を施す先生は、はやくも没してしまった。誰が人々を治療してくれるのか。無量の知恵の海原の中に生まれた、弟子という蓮華の花はすでに枯れてしまった。教えの大樹は折れ砕け、教えの雲は散り散りになって消えてしまった。大いなる知恵を持った象の王は死に、子象もそれに従った。教えの商人は過ぎ去った。誰に従って教えの宝を求めればよいのか」。

詩に曰く、

『仏は永遠の静寂である涅槃に入った。欲望の束縛を滅ぼした人々も過ぎ去った。世界はむなしく、無知である。愚かさの暗闇は増し、ついに知恵の灯は消えた』。

そのとき、神々はマハーカーシャパの足に礼拝し、詩を作った、

『長老はすでに貪欲と怒りとおごりを取り除き、その姿は赤銅の柱のようだ。上から下まで威厳が備わり、比べられるものがない。眼は蓮華のように清浄である』。

称賛し終わり、マハーカーシャパに言った、

「大徳カーシャパよ、あなたは知っているか。教えの船は壊れかけ、教えの城は廃れつつあり、教えの海は尽きかけ、教えの旗は倒れようとし、教えの灯は消える寸前であり、教えを説く人は去ろうとし、道を行う人はだんだん少なくなり、悪人の力は増している。大いなる慈しみをもって仏の教えを打ち立てなさい」

と。そのとき、マハーカーシャパの心は大海のように澄み渡り、動かなかった。しばらくして答えた、

「あなた方は善く語った。そのとおりである。世間の無知迷妄は長くは続かない」。

マハーカーシャパは黙って願いを引き受けた。すると、神々はマハーカーシャパの足に礼拝し、忽然と姿を消して、帰っていった。マハーカーシャパは考えた、

「どうすれば三阿僧祇劫の間、仏の得難い教えを絶やさないことができるだろうか」。

また、

「この教えを絶やさないために、経(仏の言葉)、論書(経に対する注釈)、戒律という三種類の経典を集め、三蔵を作るべきだ。こうすれば、仏の教えを絶やさず、未来でも人々は教えを受けて行うことができる。なぜなら、仏はいつも非常に努力し、人々への憐れみのために、よく学んでこの教えを獲得し、人に説いたのだから。我々も仏の教えを用い、高めて、人びとを導くべきである」。

このように言い終わって、須弥山しゅみせんの頂上に留まり、梵鐘ぼんしょうを打ち、次の句を作った、

『仏の弟子たちよ、仏を心に思うならば、仏の恩に報いなさい。涅槃に入ってはならない』。

この梵鐘の音と、マハーカーシャパの声は三千大千世界に響き渡り、皆がこれを聞いた。神通力を持つ弟子たちは、マハーカーシャパのところに来て集まった。

マハーカーシャパは集まったものに告げた、

「仏の教えが消滅しようとしている。仏は三阿僧祇劫をかけて、種々の努力を積み、人々を憐れんで、よく学んでこの教えを得た。

仏はすでに涅槃に入った。弟子たちの中で、教えを知り、教えを保持し、教えを読誦してきた者どもは、仏の後を追って死んでしまった。教えはまさに滅びようとしている。これでは、未来の人々がかわいそうだ。知恵の眼は失われ、愚かさの暗闇に覆われるだろう。仏は慈悲の心で、人々を哀れんだ。我々は仏の教えを受け継ぎ、教えを集め終わるのを待ってから、好きな時に死のう」

と。集まった人々は、みな教えを受けていた。マハーカーシャパはその中から千人を選んだが、アーナンダは選ばれなかった。千人はみな阿羅漢であり、六種の神通力を持っていて、共解脱ぐげだつ無礙解脱むぎげだつ三明さんみょうを得、禅定は自在で、正順、逆順に瞑想を行って妨げなく、三蔵を読誦して、仏教の中と外の経典をよく知っている。外道の十八種類の経典をすべて読み、それらの学問を議論によって降すことができる。

そのとき、無数の阿羅漢がいたのだとすれば、どうして千人だけを選び、それ以上増やさなかったのか。

ビンビサーラ王が悟りを得たとき、八万四千の役人も悟りを得た。このとき王は宮中に命令を出し、常に食事を用意して、千人に奉仕するようにした。しかし、ビンビサーラの息子、アジャータシャトル王はこの法を廃止してしまった。

さて、それを知らずに、マハーカーシャパは考えた、

「我々がいつも乞食をしなければならないとすれば、外道がやってきて我々に難問を出し、経蔵の結集が中断してしまうかもしれない。ラージャグリハでは千人分の食事を提供してくれるはずだから、そこに行って経蔵の結集を行おう」。

このような理由で千人を選び、それ以上は増やさなかった。

マハーカーシャパが千人とともに、ラージャグリハのグリトラグータ(霊鷲山)に到着した。アジャータシャトル王に言った、

「我々に日々の食料を提供しなさい。いまは経蔵の結集を行っている最中で、他のことができないのだ」。

ここで三月の間、夏安居(夏の雨季の期間、一か所に籠って修行すること)を行った。

初めの十五日に戒律を説いたとき、僧侶を集め、マハーカーシャパは瞑想に入った。神通力の眼によって、この人たちの中に、煩悩がいまだ尽きず、追い出さなければならない者がいるかどうかを見極めた。アーナンダ一人だけが煩悩を残していた。他の九百九十九人はすべての煩悩が尽き、清浄無垢であった。

マハーカーシャパは瞑想から立ち上がり、人々の中からアーナンダを引っ張りだして言った、

「我々は、清浄な人々の中で仏の教えを集めようとしている。しかし、あなたは煩悩の束縛が尽きていないから、ここにいてはならない」。

アーナンダは恥ずかしくなり、悲しみ泣いて、考えた、

「私は二十五年間、世尊のそばに従い、身の回りの世話をしてきたが、このような苦しみを味わうのは初めてだ。仏は大きな徳をもち、慈悲のある方だから、堪えて下さったのだ」。

そしてマハーカーシャパに言った、

「私には力があり、とうの前から悟りを得ることができた。ただ、仏の教えでは、阿羅漢に身の回りの世話をさせてはいけないことになっているので、私は煩悩の束縛を残し、仏の世話を続けていたのだ」。

マハーカーシャパは言った、

「あなたにはまだ罪がある。仏は女人の出家を許したくはなかったのだが、あなたが熱心に説得するから、仏はこれを許可した。そのために、正しい仏の教えは、五百年で衰えることになった。これはあなたの悪行の罪である」。

アーナンダは言った、

「私はゴータミー(釈迦の養母)を哀れんだのだ。また、三世の諸々の仏にはみな四部衆(男女の出家と在家の修行者)がいた。釈迦牟尼仏だけがこれを持たなくてよいだろうか」。

マハーカーシャパは言った、

「仏が涅槃に入ろうとしたとき、クシナガラ城に近づくと背中が痛み出した。四枚の上衣を敷いて臥し、あなたに水を持ってくるよう頼んだが、あなたは用意できなかった。これはあなたの罪だ」。

アーナンダは答えた、

「そのときは五百両の車が流れを渡り、水が濁っていたために、水を持って行けなかったのだ」。

マハーカーシャパは言った、

「仏は大神通力によって、大海の濁りをきれいな水に変えることもできるのに、どうしてその水を与えなかったのか。これはあなたの罪だ。

あなたは立ち去って懺悔をしなさい。

また、仏はあなたに問うた、もし四神足しじんそくを修める者がいたとしたら、その人は寿命を一劫伸ばしたり、縮めたりできるだろうか、と。仏は四神足を修め、寿命を一劫伸ばすか、縮めるかしようとしていた。しかし、あなたは黙って答えなかった。あなたに三度まで尋ねたが、黙って答えなかった。もし、あなたが答えていたら、仏は四神足を修めていたので、寿命を延ばすか縮めていたはずだ。あなたが答えなかったせいで、仏は早くも涅槃に入ってしまったのだ。これがあなたの罪だ」。

アーナンダは言った、

「悪魔が私の心を覆ったので、何も言えなかったのだ。私が悪心を抱いて、仏に答えなかったのではない」。

マハーカーシャパは言った、

「あなたが仏のために上衣を畳んでいるとき、それを足で踏んだ。これはあなたの罪だ」。

アーナンダは言った、

「あのときは突風が起こって、助けてくれる人がいなかった。それで、衣をつかむときに風が吹いて、足の下に入ってしまったのだ。不敬の念から足で踏んだのではない」。

マハーカーシャパは言った、

「仏が涅槃に入った後に、仏の陰蔵おんぞうの相(陰茎が腹中に隠れて見えないこと)を女人に示した。これは恥ずべきことである。これがあなたの罪だ」。

アーナンダは言った、

「もし女人がこれをみたら、女人の身を恥じて、男子の身を得て、修行して種々の福徳を積もうとするだろうと考えた。それで、これを女人に示したのだ。恥ずべきことはしていないし、戒を破ったわけでもない」。

マハーカーシャパは言った、

「あなたには六種類の悪行の罪がある。僧侶たちの中で懺悔しなさい」。

アーナンダは言った、

「よろしい。マハーカーシャパ長老と僧たちの言うことに従おう」。

このとき、アーナンダは跪き、手を合わせ、右肩を出して靴を脱ぎ、六種類の罪を懺悔した。マハーカーシャパは僧たちの中からアーナンダを引っ張り出し、告げた、

「煩悩がすべて尽きたら、またここに来なさい。煩悩が尽きないうちは、来てはいけない」。

こう言って門を閉めた。

そのとき、諸々の阿羅漢は話し合った、

「誰が戒律をよく記憶しているだろうか」。

アヌルッダ長老は言った、

「シャーリプトラは第二の仏であり、良い弟子がいる。ガワーンパティ(牛呞)という名で、優しく上品で、静かなところに住み、心は平穏で戒律をよく知っている。いまは、天上のシリーシャ(合歓ねむの木)の園に住んでいる。使いをやって、ここに来るように頼んでみよう」。

マハーカーシャパは下座の僧侶に使いとして行くように言った。下座の僧侶は言った、

「どのような使いですか」。

マハーカーシャパは言った、

「あなたは使いとして、天上の合歓の木の園の、ガワーンパティの家に行きなさい」。

この僧は歓喜して躍り上がって使命を受け、マハーカーシャパに言った、

「ガワーンパティに何を告げればよいですか」。

マハーカーシャパは言った、

「マハーカーシャパなどの煩悩を尽くした阿羅漢がインドに集まり、大会議を開いている。あなたも早く来なさい、と告げなさい」。

下座の僧は、僧侶たちに礼をして、三度右回りに回り、ガルダ鳥のように飛び上がった。ガワーンパティの所に到着し、頭を下げて礼をして、語った、

「心優しく、徳があり、欲が少なく、自ら満足することを知っていて、常に瞑想のなかにある方よ。マハーカーシャパからの伝言です。今、僧侶たちは大集会を開いています。速やかに下りて来て、僧たちの集まりに参加してください」。

ガワーンパティはこれを聞くと、疑いを抱いて、この僧に尋ねた、

「僧たちは争い事でもないのに私を呼ぶのか。それとも戒を破った僧がいるのか。太陽のような仏が没したのか」。

僧侶は答えた、

「そのとおりです。大師、仏は入滅しました」。

ガワーンパティは言った、

「仏が没するのがこれほど早いとは。世間の眼は消えた。仏が回転させた教えの車輪をあやつる将軍、シャーリプトラ和尚はどこにいるだろう」。

僧は答えた、

「先に涅槃に入りました」。

ガワーンパティは言った、

「大師の教えを奉じる将軍たちは、みな離れ離れになってしまった。どうすればいいだろう。モッガラーナ(摩訶目伽連)はどこにいるだろう」。

僧は答えた、

「彼も入滅しました」。

ガワーンパティは言った、

「仏の教えは散じようとしている。先生たちは過ぎ去ってしまった。衆生は哀れだ。アーナンダ長老はどうしているのか」。

僧は答えた、

「アーナンダ長老は仏が入滅した後、憂い悲しんで大声で泣き、困惑すること、たとえようもありません」。

ガワーンパティは言った、

「アーナンダの懊悩は、煩悩の束縛にとらわれているからだ。別離が苦しみを生む。ラーフラ(羅睺羅)はどうか」。

僧は答えた、

「ラーフラは阿羅漢になったため、憂いや悲しみはありません。諸法無常を観察しています」。

ガワーンパティは言った、

「断ち切りがたい愛をすでに断ったのだ。どうして憂いや悲しみがあろうか。

私は、欲を離れた大師を失った。この合歓の木の園に住み、何をしようか。わたしの和尚や先生はみな入滅してしまった。わたしは再び地上に下りることはできない。ここで涅槃に入ろう」。

言い終わると、瞑想に入り、虚空に躍り上がって、身体から光明を放ち、水火を出し、太陽と月を手のひらで撫で、種々の神変を現し、心から火を出して全身を焼いた。身体から四方に水が流れだし、マハーカーシャパのところに届いた。水の中から声が聞こえた、

『ガワーンパティは稽首し、第一大徳の僧を礼拝する。仏が滅度したのを聞き、私も後を追った。大象が去るとき小象が従うように』。

そこで下座の僧は、衣鉢を持って、仲間のもとに帰った。

こうしている間、アーナンダは教えに思いめぐらし、残りの煩悩を取り除こうとしていた。その夜、アーナンダは座禅経行し、熱心に修行していた。彼は知恵の力が多く、瞑想の力は少なかったので、すぐには悟りを得られなかった。知恵と瞑想の力が等しいものはすぐに悟りを得られるのだが。

夜が明けようとしていた。疲れが極まって休息し、横になって枕に就こうとした。頭がまだ枕に届かないうちに、廓然として悟りを得た。それは電光が閃いたときに、闇夜に道が照らされるかのようだった。アーナンダは金剛石のように堅固な瞑想に入り、すべての煩悩の山を滅ぼし尽くした。三明、六神通、共解脱を得て、大力の阿羅漢となった。

その夜のうちに僧堂の門に至り、門を叩いて叫んだ。マハーカーシャパは言った、

「門を叩くのは誰か」。

答えて言う、

「私はアーナンダだ」。

マハーカーシャパは言った、

「どうしてここに来たのか」。

アーナンダは答えた、

「私はこの夜に煩悩を滅ぼし尽くしたのだ」。

マハーカーシャパは言った、

「門は開けない。門の鍵穴から入ってきなさい」。

アーナンダは答えた、

「いいだろう」。

アーナンダは神通力によって門の鍵穴から入ってきた。僧の足を礼拝し、懺悔した。

「マハーカーシャパよ、もう責めないでくれ」。

マハーカーシャパはアーナンダの頭をなでて言った、

「私はあなたのために悟りを得させたのだ。恨まないでくれ。わたしもあなたの自証のようだった。虚空に絵を描いても、空が汚れないように、阿羅漢の心もそれと同じだ。全ての事象のなかに執着することがない。席に着きなさい」。

そこで僧たちは話し合いを再開した。ガワーンパティはすでに入滅した。他に誰が教えを集められるだろうか。アヌルダ長老は言った、

「このアーナンダ長老は仏弟子の中で、いつも仏に近侍していた。聞いた経をよく覚え、仏はいつもそれを誉めていた。アーナンダは教えを収集するのにふさわしい」。

マハーカーシャパはアーナンダの頭をなでて言った、

「仏はあなたに教えを託した。仏の恩に報いなさい。仏が最初に説法をしたとき、どこにいたのか。仏の大弟子で、教えを守っていた者たちはみな入滅してしまった。ただあなた一人だけが残った。仏の心に従って、人々を憐れみ、教えを集めなさい」。

このときアーナンダは僧に礼拝し、獅子坐に座った。マハーカーシャパは詩を作った、

『仏は聖なる獅子の王。仏弟子アーナンダは獅子坐に座り、大衆を見るが仏はいない。

こんなに徳のある人たちでも、仏がいないと迫力がない。月が空に出ていない時、飾りが欠けているように。

仏子、大智人よ、語ってくれ。仏はどこで最初の教えを垂れたのか。仏の教えを広めてくれ』。

このときアーナンダ長老は一心に手を合わせ、仏が涅槃した方を向き、語った、

『仏が初めて教えを説いたとき、私はそこに居なかったが、このように伝え聞いている。仏はワーラーナーシーにあり、五人の修行者のために、初めて甘露の門を開いた。苦集滅道という四つの真実の教えを説いた。アジュニャ・カウンディンヤ(阿若憍陳如)が初めに悟りを開き、八万の神々もそれに続いた』。

千人の阿羅漢はこれを聞き終わり、空中を七多羅ターラじゅ(ヤシ科の植物で、高さの単位。約二十メートル)の高さまで上昇した。皆は言った、「おお、無常の力は偉大だ。我々は仏の説法を目の当たりにしたが、いまは『私は聞いた』と言うしかない」。そして詩を語った、

『私は仏の身体を見た。赤銅の山のようだった。素晴らしい姿や多くの徳は滅び、ただ名前だけが残った。

それゆえ、巧みな方法を使って、三界から出離することを求めよ。様々な善の根を集め、涅槃を最も楽しみとする』。

アヌルッダ長老は言った、

『ああ、世間は無常だ。水月芭蕉のように。三界に満ちた功徳は、無常の風に壊される』。

マハーカーシャパは語った、

『無常の力はとても大きい。愚者、知者、貧者、富者、貴人も、悟りを得た者も得ない者も、みな免れることはできない。

よくできた言葉でも、素晴らしい宝石でも、ごまかしでもない。火が万物を焼くように、無常のはたらきはあるがままである』。

マハーカーシャパはアーナンダに語った、

「初めて教えの車輪を回したときから偉大な般涅槃に至るまでに、説かれた教えを集めて四阿含とする。増一阿含、中阿含、長阿含、相応阿含である。これを経蔵と名付ける」。

諸々の阿羅漢はさらに問う、

「誰が戒律を集められるだろうか」。

皆が言う、

「ウパーリ長老は五百阿羅漢の中で、最もよく戒律を守っている。彼にお願いしよう」。

そしてウパーリに求めた、

「獅子坐に就いて、説きなさい。仏はどこで初めて戒律を説いたのか」。

ウパーリは請いを受けて、獅子坐に座って説いた、

「このように私は聞いた。あるとき仏はヴァイシャーリーにいた。そのとき、シュリーナカランダ長者の子が、初めて淫欲を行った。この因縁によって、初めて大罪を二百五十の戒律にまとめ、三部と七法と八法の比丘尼の増一戒律を作った」。

僧たちはウパーリに、雑部と善部を問い、これら八十部の戒律を作った。阿羅漢たちはさらに考えた、

「誰が論蔵(阿毘曇アビダルマ。教えの解釈)を集められるだろうか。アーナンダ長老は五百阿羅漢の中で、教えを理解すること第一である。彼にお願いしよう」。

そしてアーナンダに言った、

「獅子坐に座って説きなさい。仏はどこで初めて論を説いたのか」。

アーナンダは請いを受けて獅子坐に座り、説いた、

「このように私は聞いた。あるとき、仏はシュラーヴァスティー(舎衛城)にいた。仏は修行者たちに告げた。諸々の生き物は五怖、五罪、五怨を除かず、滅ぼしていない。これ故に、心身に無量の苦しみを受ける。また、来世には地獄や餓鬼、畜生の世界に堕ちる。諸々の生き物には五怖、五罪、五怨が無い。これ故に、心身に楽しみを受け、来世には天上に生まれる。遠ざけるべき五怖とは何か。殺し、盗み、邪淫、妄語、飲酒である」。

これを論蔵という。

三蔵が集まり、神々や鬼神、龍、天女が種々に供養し、天の華香、飾り旗、天の衣を雨ふらした。法に供養するために詩を作った、

『世界を憐れむゆえに、三蔵を集めた。十力と一切智、知恵を説くは無明の灯りなり』。

八乾度はちけんど阿毘曇や六分ろくぶん阿毘曇(六足論)は、どこから出てきたのか。

仏が在世のときは、教えに異説は無かった。仏が入滅したのち、初めて結集があった時も、仏がいたときと変わらなかった。

没後百年、アショーカ王の時代にパンチャワールシカ大会(五年ごとに設けられる大斎会)が開かれたとき、様々な法師の議論が異なるために、それぞれ別の名前で呼ばれた。ここから始まって、カーティヤーヤナというバラモンに至るまで、求道者は知恵優れ、三蔵や内外の経典を読み、仏の言葉を理解するために、発智経ほっちきょう八乾度を作った。初品は世間で最も優れている。後に弟子たちは八乾度を理解できなくなり、ヴァイバーシャ(毘婆沙)を作った。

ある人は言う、六分阿毘曇のうち、第三分八品の分別世処分はマウドガリヤーヤナの作で、初分の八品四品はワスミトラの作、四品はケイヒン阿羅漢の作、五分はその他の論議師の作だと。

また、仏が在世のとき、シャーリプトラは仏の言葉を解釈し、論蔵を作ったとも言う。後に犢子とくし派が読誦し、今に至るまで舎利弗しゃりほつ阿毘曇という。

マハーカーティヤーヤナは、仏がいたときに、仏の言葉を解釈して昆勒こんろくを作った。これは南インドに伝わった。

<中略>

このようにすべての教えを分別することを、阿毘曇と名付ける。

阿毘曇には三種ある。一つ目の阿毘曇は略して三十二万語、二つ目の六分は略して三十六万語、三つ目の昆勒は略して三十二万語である。これを阿毘曇略説という。

これで「如是我聞」の総説を終わる。

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