民主主義

1

民主主義という政治形態は、ある種の精神病と似ています。

民主主義国家において、政府の行動に対して最終的に責任を負うのは、国民です。国家の主権が国民にあるということは、その責任も国民にあるということです。したがって、政府には、自分の行動に対して責任を負う能力がありません。

民主主義は、そのような政治体制を持つ国家の国民にとっては、よい制度なのだと思います。政府が国民の考えに従わねばならないということは、国民の利益になるでしょう。

しかし、世界の他の国々から見れば、民主主義国家は非常に迷惑な存在です。その国の政府には、自国の行動を決定する能力はなく、責任を負う能力すらありません。それらの能力は政府の外、国民の中にあるのです。これではまるで、国家の人格が二つに分裂しているかのようです。

民主的な手続きによって選ばれた政府は、国民に対して責任を負っています。これを裏面から見れば、その政府は他の何に対しても責任を負わない、ということになります。つまり民主主義体制において、政府は、自国民に対して負っている責任が大きすぎるために、他国に対する責任を果たせなくなっているのです。

ある国が民主主義国家と交渉をしようとすれば、その国の政府と交渉をするしかありません。しかしその政府には、相手国との約束を守る能力などないのです。

国際社会の構成員として見るならば、民主主義国家は子供と同じです。判断力も責任能力もないのに、自国の利益が損なわれると、怒りだします。このような国家が存在する限り、国際的な秩序を構築することは不可能です。

2

たとえば民主主義国家が、戦争を始めるという決断をすることは、とても難しいと言えます。なぜならば、実際に戦場で死ぬことになるのは、政府の人間ではなく、国民だからです。国民は何よりも、自分自身と家族の死を回避しようと考えるでしょう。

しかし、国家の存続と利益のためには、戦争を行うほうが望ましい、という状況も実際にありえます。このような場合には、政府の意思は、国民の意思と真っ向から対立します。民主主義の欠点があらわになるのは、このようなときです。

政治家は、国民の考えを誘導するために、自分自身も望まないような行動を強いられることになるでしょう。彼にとっては、はたから見れば不合理な行動をとることが、目的を達成するための最良の手段となります。

ルーズベルトは、このような、いわば民主主義の罠に嵌ってしまったのだと考えられます。

タイトルとURLをコピーしました