能力主義

現代の日本では格差社会が進んでいて、世の中は勝ち組と負け組に二分されているという。そこで、社会で成功するためには何が必要か、という質問に対して、能力があるかないかがそれを決めるのだ、という答えが返ってきたりする。いわゆる能力主義である。

しかし、能力という言葉ほど嫌なものはない。なぜといって、そんなものがどこにあるのか分からないからである。目に見えないものがある、と言われると、何も言い返せなくなってしまう。それがないという証拠がないので、あるはずがない、とは言えないのである。

能力があるから社会で成功するのだ、と言うが、では、ある人に能力があるということがどうして分かるのか、といえば、その人が社会で成功したから能力が証明されたのだ、という話になる。つまりトートロジーである。成功したから成功したのだ、と言っているのと変わりがない。これは一種の詐欺だと思う。

たとえば占い師に、誰にでも当てはまるようなことを言われると、なんとなく自分のことが言い当てられているような気分になってくる。それがトリックかもしれない、ということは分かっているのだが、しかし、それが予言の力によるものではない、という証拠もないのである。それで、なんとなく話を聞いているうちに、だんだん騙されてゆくわけである。

私はこれを反証不可能性の詐欺と呼んでいるが、能力という言葉も同じ手口だと思う。能力がある、と言われると、それを否定することができないので、なんとなくあるような気になってくる。それで、能力がないから負け組なんだ、と言われると、そうかもしれない、と納得してしまう。

つまり能力という言葉は、そういうふうに人をだませる人間だけが出世するのだ、ということを意味しているにすぎない。こんな言葉が大手を振ってまかり通るようになったのだから、日本社会もだいぶ腐ってきたようである。

ついでに言っておくと、精神医学やキリスト教もこれと同種の詐欺である。気をつけてほしい。

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