戦争責任と慰霊

1

日本人はもしかすると、加害者と同化することによって、自分が被害者であったことを忘れようとしているのかもしれない。

日本はかつて欧米による侵略の被害者であった、というか被害者になりかけた。結局、戦争によってそれを退けることができたのだが、その被害者としての記憶を忘れるために、自分は加害者だと思い込もうとしているのではないか。

だが実際には、日本は被害者にならなかったし、積極的に加害者であったわけでもない。だから、加害・被害という構図にこだわる必要はないのだが、なかなかそこから抜け出せないらしい。ヨーロッパ的な考え方をしていると、どうしてもそういった二元論から抜け出せなくなってしまう。一度それを忘れてみるべきである。

とくに、中国との戦争を加害・被害という二項対立で捉えようとすることは、全くの見当違いである。中国人には対外戦争という観念はない。すべての戦争は内戦である。つまり、我々は中国の内戦に参加したのであって、外国勢力として中国を侵略したわけではない。そういう見方が成立するのは、近代中国が成立した後の話であり、その近代中国の建設そのものに日本が関わっていたわけである。

いまの中国人が侵略云々と言うのはプロパガンダであって、それを真に受ける必要はない。そもそも中国など存在しなかったのである。レイプ・オブ・ナンキンはたしかに存在したと思うが、戦争というのはそういうものであって、あまりナイーブに捉えるべきではない。むろん、日本人の道徳心の低下は反省すべきことではあるが、謝罪するしない、といった単純な問題ではない。謝罪をするなら、南京城を守り切れなかったことを、国民党が中国人民に対して謝罪すべきである。滑稽極まりないことだと思うが。

それが滑稽であるのは、国民党中国が近代国家ではなく、中国人民の代表ではなかったからである。では、中国人民の代表は他に存在したのかといえば、そんなものは存在しなかった。本当は、日本軍がそうなることもできたはずである。

加害・被害という二項対立は西洋人特有の分かりやすいフィクションであり、現実とは全く関係のない言葉遊びに過ぎない。

2

GHQは本当に馬鹿なことしかしない連中だったが、新仮名遣いの害が一番大きかったのではないか。そのせいで、日本語はずいぶん使いづらい言語になったと思う。

漢文の読み方を多少でも知っている人間なら、中国というものがどういうものなのか、何となくわかるはずである。日本語と漢字のかかわりは非常に深いものだったので、昔の日本語を使う人間は、今の人よりも漢字の使い方に詳しかったと思う。しかし新仮名は、日本語と漢文を切り離す作用があったので、日本人には中国のことがよく分からなくなってしまった。

東京裁判で滑稽なことは、欧米の判事たちが、中国の状況に全く無知であったらしいことである。それもそのはずで、漢字が読めない人間に、中国のことが分かるはずもないのである。逆に言えば、戦前の日本と中国のかかわりを考えるためには、漢文や旧仮名遣いの文章をある程度読めなければならない。

私も漢文は独学で、仏典ぐらいしか読むことはできないが、それでも漢字の持つ力はなんとなく理解できる。最近は漢字に疎い人が多く、それが歴史の理解を妨げている部分もあると思う。

中国語は一つの言葉ではない。おそらく無数の言語の集まりが、漢字という宇宙を形成しているのだと思う。たとえば、仏典を記述するための漢文と、儒学の議論をするための漢文は、たぶん文法からして異なる。全く別の言語である。そういうふうに、それぞれの分野や時代によって、互いに異なる漢字の体系が存在し、それら漢字の体系の集合が、全体として中国語というものを構成しているのではないか。

誤解を恐れずに言うと、日本語や英語が人間の言葉だとするならば、漢字は神の言葉である。それぐらい次元が違う。

3

いまでもGHQを崇拝している人はいて、彼らに言わせれば、GHQは日本に民主主義を根付かせたから偉いのだそうだ。だが、民主主義というのは何のことはない、ただの多数決である。なんでただの多数決をそんなにありがたがるのかよく分からないが、どうもこれは一種の宗教であるらしい。つまり西洋人にとっては、ただの多数決が、何かとても崇高で価値のあるものに見えているようなのである。鰯の頭も信心からと言うが、迷惑なものを日本に持ち込んでくれたものである。西洋人はおかしな宗教を次から次へと発明する。

4

三百万の日本人はたしかに無意味に死んだ。それは、本来必要なかったという意味での無意味であって、全く何の意味もなかったわけではない。

アメリカ人は、自分たちがなぜ日本人を殺したのかを理解していない。あの戦争の意味も結果も何一つ理解していない。日本人の死の無意味さは、アメリカ人が意味もなく日本人を殺したことからくる。

三百万の日本人は、アメリカの侵略を退けるために死んだ。だが、当のアメリカ人にはその自覚がない。彼らには、それを理解するための知性が欠け落ちている。

我々があの戦争の死者を追悼するためには、アメリカ人に、彼らがしたことを自覚させ、謝罪させなければならない。それ以外に死者を追悼する方法はない。そのために、アメリカ人がそれを理解できるようになるまで、我々が教育してやる必要がある。それが本当の慰霊であろう。

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