安倍晋三の一周忌

なので、この事件の報道をよく目にする。もう一度論点を整理したい。

まず、山上被告はいち私人にすぎないので、彼について語るべきことはない。一方で、安倍晋三は公人である。彼は歴代最長の内閣総理大臣であり、歴史に名前が残る人物である。ゆえに、彼の人生は厳しく批評されねばならない。

むかし、幕末のころ、井伊直弼という政治家がいた。彼は幕府を主導してアメリカと通商条約を結び、開国へと舵を切った。井伊は同時に、鎖国を破った彼のやり方に不満を持つ武士たちを、厳しく処分した。これが攘夷派の志士たちの怒りを買い、桜田門外で暗殺されることになった。

井伊が殺されたのは政治思想の対立の結果である。彼の生き方は政治家として筋が通っており、その人生は教訓に満ちている。ゆえに、井伊直弼の死は教科書に書く価値がある。一方で、安倍晋三はなぜ殺されたのだろうか。

安倍が殺されたのは、彼の政治が理由ではない。政治とは全く関係なく、統一教会と関係を持っていたせいで、元信者の恨みを買って殺されたのである。いったい統一教会とは何か、なぜ安倍は統一教会に協力していたのか、なぜそれが人の恨みを買うことになるのか、まったく訳が分からない。こんなことをどうやって教科書に書けばよいのか。安倍の死は教科書に書けないし、書く価値もない。日本の総理大臣にこんな死に方をされては困るのだ。

たとえば、安倍晋三が、統一教会によって苦しんでいる人がいるからということで、統一教会が活動しづらくなるような法律を作ったとしよう。それによって教会幹部の恨みを買い、統一教会に暗殺された、という話ならまだ分かる。それならば、彼は政治家として筋が通った、立派な人だったと言えるだろう。

だが、実際は逆である。彼は統一教会によって苦しんでいる人を、さらに苦しめるようなことをした。政治家の本来の仕事は、苦しんでいる人を助け、希望を与えることである。それとは正反対のことをしたのだから、彼は政治家失格であったと言える。

そもそも、安倍が統一教会と関係を持たなければ、あのような死に方をする必要はなかった。政治家は、人を苦しめるようなことをする、邪な人間と関係を持つべきではない。自分の身の回りのことに注意し、身を慎むという、政治家として当たり前のことを怠っていたから、今回のような事件に巻き込まれたのである。

これは、ヤクザと関係を持っていたせいで、ヤクザの抗争に巻き込まれて死んだ、という話と大差ない。カルト教団に顔を貸していたせいで、その内輪揉めに巻き込まれて死んだのである。政治家としてあまりに情けないではないか。

なぜ誰も彼の死に疑問を持たないのか。なぜ彼の人生を批評しないのか。日本国民はよく考えるべきである。我々の批評が後世の教訓となるだろう。

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