何度目かの緊急事態宣言で、今年のGWも外出自粛である。
中国やイスラエルなど、すでにワクチンによるウイルスの封じ込めに成功した国々は、以前の日常を取り戻している。一方、インドや日本など、いまだワクチン普及のめどが立たない国々は、感染予防に四苦八苦している。
とくにインドは、二重変異株のせいでかなりの犠牲者を出している。また、日本での五輪開催にも懸念が持たれる。どうやら人類はウイルス対策に失敗したようである。
コントロールの失敗
本当は、はじめウイルスの毒性が弱かったころに、みんなで感染しておけばよかったのである。そうして集団免疫をつけておけば、毒性の強い変異株が現れたところで、それが広まることはなかっただろう。
ウイルスはウイルス同士で生存競争をしているので、どれか一つのウイルスが勝者に決まってしまえば、他のウイルスは出現した瞬間に敗者となってしまう。我々は、毒性の最も弱いウイルスが勝者となるようにゲームをコントロールすべきだった。だが実際は、すべてのウイルスを同じように封じ込めようとした。そのせいで、より性質の悪いウイルスがはびこることを許してしまったのである。
ワクチンによる封じ込めが全世界で一律に行えるものでないことは、はじめから分かっていた。しかし、自分の国さえ助かればよいという利己心と、他の国がウイルスに苦しめば、自国の相対的な地位が上がるという打算から、先進国はワクチンの開発に熱中した。その結果、ワクチン開発が上手く行った国は勝ち組となり、失敗した国は負け組になるという明確な落差がついてしまった。
弱毒化の失敗
我々はウイルスを封じ込めようとするべきではなかった。自国さえ助かればよいと思うべきではなかった。そういう利己心を持つ者が一人でもいれば、世界平和は実現できないだろう。我々は自分のことだけでなく、人類全体のことを考えなければならない。人類全体が助かるための方法を考えなければならなかった。
ウイルスの毒性が弱まるのは、毒性の強いウイルスが宿主を殺してしまい、自分も淘汰されてしまうからである。その結果、自然と毒性の弱いウイルスが生き残る。いまは、医者が重症の患者を優先的に助けてしまうので、ウイルスの弱毒化が進まず、むしろ逆に強毒化が進んでいる。
その割を食うのはワクチンの開発に失敗した国々である。医療の進んだ国が作り出した毒性の強いウイルスが、医療の遅れた国に脅威をもたらしつつある。あらゆる問題が弱者に押し付けられ、強者が勝ち逃げするという構造が、ここにも現れている。
ウイルスの多様化
また、海外渡航の禁止もこの傾向に拍車をかけている。現在、世界では移動の自由が制限され、ウイルスが他国から入ってこないように、また他国に持ち出されないように注意している。だが、そうしてウイルスが隔離されてしまうと、それぞれの地域で独自の変異を遂げることは避けられない。
ガラパゴス諸島で多様な進化が起きたのは、それぞれの島が隔離されていたからである。それと同じ状況がいま、人の手で作り出されている。世界はウイルス進化の実験場になりつつある。ウイルスがどんどん多様性を増し、手が付けられなくなっている。
本当なら我々は、ウイルスの多様性が小さくなるように手を打たねばならなかった。それは先に述べたように、ウイルス同士の競争に勝者を作るということである。そのためには、ウイルスにもある程度の移動の自由を認めなければならない。異なる地域間でウイルスの交流を促すことが、かえって変異を減少させると考えられる。
実際には、我々は真逆のことをしている。それがさらに被害を拡大させているのではないか。
失敗の原因
すべての原因は利己心である。自分さえよければよいという心が、あらゆる苦難を生み出している。感染予防をするべきだと、マスコミも医者も口をそろえて言うが、それはワクチンの開発を前提とした考え方である。そもそもワクチンの開発が不可能だったならば、感染予防は何の解決にもならない。
そして、自国でワクチンを開発できず、他国から入手するめども立たない国はたしかにある。そうした国々にまで感染予防を行わせることは、本当に正しい選択だったと言えるのだろうか。我々は自分が助かりたい一心で、他人に不利益を押し付けようとしていたのではないか。
そうした心がある限り、同じ問題がいつまでも繰り返されるだろう。そして、社会全体がどんどんやせ細ってゆくのである。その割を食うのは結局自分だということに、どうして気づけないのだろうか。
もちろん、世界全体にワクチンを分配することも一つの手である。その意味で中国のワクチン外交は正しい。戦略的にも道義的にも正しい。
本来、商売の世界に敗者は必要ない。一人で儲けるよりも、みんなで儲けた方がより儲かるからである。そこに勝者と敗者を作ろうとするのは卑小な利己心である。世界全体の利益を考えることで、個人の利益も底上げされるだろう。