資本主義には二つの側面がある。いい面は産業革命、わるい面はアヘン戦争である。
産業革命は社会を豊かにした。これは疑いようのないことである。自動織機の発明は綿製品の大量生産を可能にし、多くの人が暖かい衣服を着られるようになった。近代以前の社会では、冬になると多くの人が死んだ。寒さで冬を越せなかったのである。しかし、産業革命によって多くの人が暖かい綿製品を入手できるようになると、状況は変わり、人が死なない社会が生まれた。これはたしかに価値のあることである。
その一方で、利益を追求する資本主義は、アヘン貿易という恐ろしい産業を生み出した。人を中毒にさせて、自分たちの商品を高く売りつけようとする商売である。ひとたび麻薬中毒になった人は、いくらお金を出しても麻薬を欲しがるようになるので、売り手は好きなだけ値段をつり上げることができる。だからこれは、非常に利益率の高い、生産性の高い商売だということになる。
麻薬は金になるが、それが社会を豊かにするわけではない。むしろ、儲かれば儲かるだけ、社会は貧しくなるのである。貨幣は富ではない。商品も富ではない。よい商品だけが富である。では、よい商品とわるい商品の違いはどこにあるのか。それは場合による、としかいえない。
私の観察では、iPhoneはアヘンである。なぜならば、これはただの「おもちゃ」だからだ。iPhoneは、使い方によっては便利なものではあるが、その価値は相対的なものにすぎない。その利便性を産業革命がもたらした絶対的な価値、たとえば「暖かい」という価値と比べると、そこには天と地ほどの開きがある。
iPhoneがあれば、いつどこでもインターネットにアクセスして、欲しい情報を手に入れることができる。しかし、知りたい情報が多すぎて、時間をムダにしてしまうこともある。iPhoneがあれば、すぐに人とつながることができるが、それゆえに人の目を気にしすぎるようになる。こうした得失を総合すれば、たしかにiPhoneがあるほうが便利だと思うが、それが10万円を超える端末代と、月々数千円の通信費に見合う便利さなのかと問われると、疑問を感じざるをえない。娯楽を提供する道具としては一級品だが、必要なものではない。
我々がiPhoneを欲するのは、それに価値があるからではなく、一度触るとやめられなくなるからである。iPhoneには、人をとりこにする魅力がある。そうして人を依存させ、中毒にさせて、自分たちの商品を高く売りつける。これはそういう商売なのだ。もちろんiPhoneはアヘンと違い、高度な技術を使って、高い付加価値の詰め込まれた商品である。だから、法外な値段をつけているわけではないのだろう。しかし、それが何かの役に立つわけではない。
iPhoneがいくらあっても、人を殺すことはできないし、人の命を守ることもできない。人を殺すために必要なのは鉄である。だから、鉄の生産量が国の強さを決める。アメリカ人はお金持ちだから、自分たちは強いのだと勘違いして、ロシアにけんかを売って負けてしまった。ロシアがウクライナ戦争を制したのは、ひとえに鉄の力だといえる。天然資源の豊富なロシアは、大砲も戦車もたくさん作り出すことができる。
一方のアメリカはというと、AppleやGoogleなどのIT産業が経済をけん引しているが、彼らが作り出すものはただのおもちゃであり、戦争の役には立たない。むしろ、中身のない商品で荒稼ぎをしているせいで、産業構造は空洞化し、貧富の格差が拡大して、国力の低下を招いている。GDPは増えた。だがそれは、アヘンの売り上げを計算しているようなもので、本当の国力は反映されていない。アメリカは見た目ほど強くないし、豊かでもない。それは、わるい商品を売りつける、わるい商売が横行しているせいである。
ここで、「いい・わるい」は見方による。戦争の役に立つかどうか、という基準でいえば、iPhoneはわるい商売、鉄鋼業はよい商売である。ほかにもいろいろな考え方ができるだろう。あたりまえだが、ものの価値は見方によって変わる。経済学は、すべての商品を効用という単一の基準によって計ろうとするが、それは不合理であり、非現実的である。
もう一歩踏み込んで考えるならば、経済学において、依存症という現象がどのように表現されるべきかが問題となる。経済学の前提は、「人間は自分の利益を最大化するように行動する」というものである。これは功利主義に基づく考え方であり、快楽と幸福は同一視される。すなわち、快楽=幸福=利益である。では、麻薬中毒者にとっての利益とは何か。その利益を追求することが、ほんとうにその人にとって幸福なのだろうか。本人が思う幸福と、ほんとうの幸福が異なるものである場合、経済学が何の役に立つのか。アヘン患者にとって、効用の最大化は身の破滅を意味するのである。
いまの経済学は、依存症という現象を考慮に入れていない。資本主義の負の歴史を無視した、欺瞞に満ちた学問である。依存症を仮定するならば、パレート均衡は悪となり、経済学の前提はひっくり返ることになる。
以上の議論をまとめると、仕事とは、人の役に立つことであり、お金を稼ぐことではない。お金儲けはたんなる自己満足であって、必ずしも社会に貢献しない、ということになる。この常識的な結論を導くためには、経済学が無視してきたアヘン貿易の歴史をふりかえらなければならない。
