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南方作戦における日本の意志ははっきりしており、その目的は資源の確保であった。まず資源地帯であるインドネシアを占領し、次に、インドネシアと日本を結ぶ航路を確保するために、マレー、フィリピンを無力化した。最後に、連合国の侵攻拠点となりうるビルマを占領し、資源地帯の安全を図った。これらはすべて日本の自存自衛を目的としており、そのために合理化された作戦行動だったと言える。
当時の日本は英米蘭から輸出規制を受けており、とくに石油を入手することが困難な状況にあった。しかし、船を動かすためにも自動車を走らせるためにも石油は必要であり、その供給を断たれることは市民生活の崩壊を意味した。また、石油がなければ軍艦を動かすこともできなくなるので、日本は防衛力を完全に失うことになる。このような危機的な状況に直面して、戦略資源である石油を確保するために、日本は戦争を開始した。
だが、もしも日本の目的が資源の獲得にあったのだとすれば、とくに南方地域を支配する必要はなかった。というのも、当時の世界においては、中東の石油利権をイギリスが握り、インドネシアの石油資源をオランダが独占し、アメリカの石油は当然アメリカのものだったから、これら三ヶ国が輸出を禁止してしまえば、日本は世界中どこからも石油を入手することができなかったのである。このいびつさこそが問題であった。
もしも、インドネシアの石油をインドネシア人が自由に売買できたならば、日本が戦争を始める必要はなかっただろう。なんとなれば、オランダ人の利害とインドネシア人の利害は必ずしも一致しないので、オランダ政府が日本への輸出を禁止したからと言って、インドネシア政府がそれに同調するとは限らないからである。ゆえに日本としては、インドネシア人に資源の利用権を獲得させれば、戦争目的を達成できたことになる。アジア人に経済的自由を獲得させること、それが大東亜共栄圏の最も一般的な理念であった。
戦前の世界には自由がなく、ひとりヨーロッパ人が世界の富と資源を牛耳っていた。大東亜戦争はこれを破壊し、世界に自由を与えるための戦いだった。まさしく解放戦争だったのである。
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以上の理由から、日本の戦争目的は資源の獲得であり、そのための領土の確保であったと結論できる。日本は陣地戦を戦っていたのである。
一方で、連合国の戦争目的は何だったのか。彼らは何のために戦ったのだろうか。
これは難しい質問で、思わず「ない」と答えてしまいそうになる。ひとつの可能性として、植民地を守ることが目的だったと考えられる。
しかしながら、上で説明したように、連合国が植民地を放棄したとき、アジア人はすでに独立への道を歩み始めていた。実際、連合国が日本軍を追い出したあとも、植民地が旧に復することはなく、日本軍が解放したすべての地域が宗主国からの独立を果たしたのである。ゆえに、もしも植民地の維持が目的だったならば、日本による占領が完了した時点で、連合国の敗北は決定していたと言える。
したがって、連合国にとっては、ここで日本に降伏することが最善の選択であった。というのも、そうすれば戦力を温存し、それをヨーロッパの戦線に振り向けることができたし、なにより、かくも広大な版図を日本政府が維持できるとは考えられなかったからである。遅かれ早かれ共栄圏各地で反乱の火の手が上がり、大日本帝国は自壊するだろう。その後で、欧米諸国の勢力を再び拡大させる道を探ればよかった。
だが、彼らはそうすることを避け、戦争を続けることを選んだ。それはなぜか。
インドネシアやビルマの人々は、日本軍を歓呼して迎え入れた。それを見た者はみな、植民地の開放を確信した。それはたしかに、圧政に苦しむ人々にとっては福音に違いなかったが、支配者たるヨーロッパ人にとっては、耐えがたい屈辱であった。その恥を雪ぐことが、彼らの戦争目的だった。連合国はすでに植民地を失っていたにもかかわらず、敗北を決して認めようとせず、執拗に日本への攻撃を続けた。たとえば、試合に負けたボクサーが勝者に殴りかかるようなもので、これほど卑劣な振る舞いはない。
アメリカにとっても事情は同じである。アメリカの目的は、南米諸国と同様に、中国を経済的な支配下に置き、アジアにおける覇権を確立することであった。そして、それはイギリスの覇権を前提としていた。口では民族自決を唱えながら、実際には植民地支配を続けるという、イギリス的ダブルスタンダードを背景として、アメリカによる中国支配は正当化されるはずであった。政治の力によるイギリス的な支配から、経済力によるアメリカ的な支配へ、アジア支配の形態を緩やかに移行させることが、アメリカの目標だったと考えられる。
だがその前提は、大東亜共栄圏の確立によってもろくも崩れ去った。ゆえに、この時点でアメリカの敗北も決定していたと言える。
アメリカ軍は、日本への戦略爆撃を、日本人の戦意を喪失させるために行ったと主張する。しかし、本当に日本人の戦意を挫きたかったのであれば、通商条約を再開すればよかったのである。石油の輸出禁止をきっかけとして日本が開戦に踏み切ったことは、連合国の首脳も理解していた。したがって、石油の輸出を条件として日本と交渉を行うことは常に可能だったし、日本側にもその用意はあった。しかるに連合国は、そのような和平交渉の試みを一切放棄し、いたずらに戦争状態を継続させた。なぜならば、戦争状態が続く限り、合法的に日本人を殺し続けることができたからである。これは平和に対する罪である。
連合国には、日本と交渉することはできなかった。そうしてしまえば、自分たちの非を認めることになるからである。彼らがそれまでに行ってきた植民地支配の不当性を認め、植民地の独立を認めなければ、日本との交渉を始めることはできない。だが、アングロサクソンには謝罪ができなかった。無限の自己肯定があるだけだった。
ビルマの戦いにおいて、日本軍は何度もイギリス軍を取り逃し、有効な打撃を与えることができなかった。それはもちろん、日本軍の戦力不足のためもあったが、はじめからそうするつもりがなかったのである。日本軍の目的は土地の占領であって、イギリス人の殺戮ではない。彼らは常に目的を持って行動し、無益な殺生を避けた。
一方、連合国は最後まで、自分たちが何のために戦っているのかを理解していなかった。戦争目的を設定し損ねたために、3年半も無益な戦いを続け、そのせいで幾百万の人命が犠牲となったのである。後世の教訓とすべきであろう。
連合国は、絶対に撤退してはいけない陣地戦を戦っていた。それを認識できなかったことが、彼らの敗因だった。
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その後、連合国がどのように日本への復讐を果たしたかは、すでに様々な書籍で紹介されているので、詳細は省く。日本海軍は1942年6月にミッドウェーで負け、陸軍は同8月から翌1943年2月にかけてのガダルカナル戦で負け、これ以降は黒星が続くことになる。やがて日本はビルマを失い、フィリピンを失い、最終的に沖縄まで攻め込まれてしまった。
1945年4月1日、アメリカ軍は沖縄本島に上陸し、同6月23日には全島を掌握、同地における日本軍の組織的な抵抗は終結した。沖縄を占領したアメリカ軍の次の目標は、九州への上陸だった。日本軍もアメリカ軍も当然そのつもりだったが、その作戦はついに実現しなかった。
実はこのとき、アメリカ国内で政変が起きていたのである。1945年4月12日、合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは脳卒中で死亡した。代わりに副大統領だったハリー・トルーマンが大統領に昇格すると、アメリカ政府はすぐに方針を転換し、日本との和平交渉を開始した。交渉とは言えないかもしれないが、連合国は7月26日にポツダム宣言を発表、日本に降伏を勧告すると、日本政府は8月14日に宣言を受諾し、戦争は終結した。
アメリカに残された僅かな希望は、日本本土を軍事的に占領し、これを完全に植民地化してしまうことであった。そうすれば日本の権威は失墜し、アジアにおける欧米諸国の覇権が復活できるかもしれなかった。
もしもルーズベルトが生きていたら、アメリカ軍は九州に上陸していたことだろう。彼は九州全土にありったけの核爆弾を投下し、そのあと軍隊を上陸させて、日本を蹂躙していたはずである。そうしなければ、それまで戦ってきた意味がなくなってしまう。アメリカ軍が戦争を続けたのは、日本本土を占領するためだった。それを目標にして3年半も戦ってきたのである。
だが、アメリカ人は、その最後の望みを自分の手で握りつぶしてしまった。連合国が日本に降伏を勧告し、日本政府がそれを受け入れたとき、アジアの開放は確実なものとなったのである。日本の勝利であった。
かつて蒙古軍が日本に攻め寄せたとき、彼らは対馬を占領したが、九州には上陸できなかった。同じように、アメリカ軍が日本に攻め寄せたとき、彼らは沖縄を占領したが、そこで総大将が倒れてしまい、ついに九州には上陸できなかった。神風は吹いていた。
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日本人は戦後、自分たちが悪の帝国だったことを認めた。そして、アメリカが正義のために戦い、勝利したことを称賛した。この筋書きは東京裁判で提示され、アメリカ人はそのストーリーを素直に受け入れた。それは彼らが望んだとおりの結果であり、おそらくそれ以上であった。彼らはこのとき、道を間違えたのである。
戦前のアメリカは、自国の利益のために戦う合理的な国家であった。それが戦後になると、正義を振りかざして戦争をふっかける不合理な国家に変貌していた。アメリカ人の自己認識が、日本人の阿諛追従によって歪められてしまったのである。
正義の守護者アメリカは、世界秩序を維持するために、自国の利益を度外視して戦争を続けた。そうして守られた世界秩序によって、最も利益を得たのは日本であった。日本は軍事や外交をアメリカに丸投げし、平和の利益を存分に貪ってきたのである。その平和は、アメリカ人の血によってあがなわれたものであった。
永遠の繁栄を求めたアメリカは、永遠に血を流し続けるゴーレムとなり、日本人に使役されることとなった。なんとも皮肉な話である。
アメリカは、この戦争を通して何の利益も得ていない。にもかかわらず、アメリカが勝利したことになっているのは、彼らが利益のためではなく、正義のために戦ったからである。
実際には、アメリカは負けたのだ。彼らは中国を失い、アジアの覇権を失った。もちろん、はじめからそんなものは存在せず、狸の皮算用にすぎなかったのだが。彼らは覇権のために戦争を始め、そして失敗した。その負けを認めようとしない詭弁が、彼らを狂わせたのである。敗北という現実を受け入れなければ、アメリカの再生はありえないだろう。
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物語はここで終わりだが、最後にいくつかの話題を検討したい。一つ目は、真珠湾攻撃は事前通告のない騙し討ちであり、卑劣なものであった、という主張である。
真珠湾攻撃の際、日本軍はアメリカ軍の兵器のみを狙い、非戦闘員に被害が出るような攻撃は行わなかった。その意味で、これは正々堂々たる軍人同士の戦いであり、卑劣と呼ばれる余地は全くないと言える。むしろ、アメリカ軍による日本への戦略爆撃こそ、卑劣な振る舞いとして非難されるべきだろう。
そもそも、軍隊の役割は外敵の脅威から国を守ることである。ゆえに、奇襲攻撃に対する備えを怠るような軍隊には、存在する価値がないと言える。つまり、アメリカ軍には軍隊として必要な能力が欠如していたのであり、日本軍が卑怯なことをしたわけではなく、単に弱かったから負けたにすぎない。アメリカ人はそれが認められないので、日本がずるをしたのだと言い張る。まるで子供のけんかであり、そのような物言いこそ卑劣なものと弁えるべきである。
さらに、軍隊はともかくとして、アメリカ政府首脳は、日本の攻撃が近づいていることを察知できたはずである。にもかかわらず、彼らは麾下の軍隊に対して、警戒態勢を取るように命令を下すことをしなかった。というのは、もしもアメリカ軍が先に日本軍を見つけてしまい、先制攻撃をするようなことがあれば、アメリカは被害者ではなくなってしまうからである。そのような事態を避けるために、彼らは軍に警戒態勢を取らせなかった。このことは、アメリカ政府そのものに危機管理能力が欠如していたことを物語っている。アメリカは負けるべくして負けたのである。
アメリカ政府は、アメリカ軍の将兵を消耗品と考えていた。彼らの言動には、将兵の命を守ろうとする意志がまったく感じられない。戦争の後半には、そのアメリカ流の人命軽視が、日本軍にも伝染してゆくようになる。恐ろしいことである。
次に、日中戦争について全く触れてこなかったので、少し触れておく。太平洋戦争開戦当時、日本軍は全部で51個師団を有していた。そのうち21個が中国に展開し、13個は満洲に釘付けにされ、南方作戦に充当されたのは11個師団にすぎなかった。つまり日本軍は、日中戦争の片手間に太平洋戦争を戦ったようなものであり、その中であれだけの戦果を上げられたことは、まさに奇跡と言ってよかった。
一方、日中戦争については、侵略戦争だとして低い評価を与えられることが多い。しかし、この戦争は統一中国建設のために不可欠の仕事であり、十分建設的な意味を持っていたと思う。というのも、20世紀初頭に中国社会が大きな混乱に陥っていた最大の原因は、アヘンであった。1840年のアヘン戦争の際に、アヘンの売買を中国政府に認めさせてから100年の間、イギリス人は休みなくアヘンの商売を続けていた。それによって中国社会は壊滅的な打撃を受け、もはや再起不能な状態に陥っていたのである。
そのアヘン商売をやめさせるきっかけとなったのが、日中戦争であった。日本軍の手で中国から追い出されることによって、イギリス人は100年来はじめて休暇を貰ったのである。その代わりに日本軍がアヘンの商売に精を出したのだが、その金でイギリス人をアジアから追い払ったのだから、むしろ痛快なエピソードであろう。
イギリス人を中国から追い出したのは、国民党でも共産党でもなく、日本軍である。そうして日本人がついた餅を、共産党は座って食べてしまった。ずる賢い奴らである。
もちろん、日中戦争が悲惨なものだったことは事実である。だが、この災厄の責任が誰にあるかと言えば、中国人だろう。アヘン戦争のときにイギリス人を追い払っていれば、中国社会を立て直すこともできた。しかし、彼らは国を守る努力を怠ったので、国が滅びた。自業自得である。
もともと中国人には、イギリスを負かすだけの力があった。日中戦争のときに見せた頑強な抵抗を、アヘン戦争のときに示せばよかったのである。それができていれば、我々はもっと幸せな歴史を共有できただろう。
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大東亜戦争は経済の自由を獲得するための戦いであり、戦後の世界はこの理想を実現するものとなった。だが、我々はいまやその副作用に苦しめられている。人間の経済活動によって自然環境が破壊され、地球規模の気候変動が進行しつつある。これを食い止めるためには、人類社会の根本的な変化が必要である。
まず、平和。我々が経済成長を必要とするのは、戦争に勝つためである。隣国よりも多くの軍事予算を確保できれば、より強力な軍隊を作ることができ、戦争に勝つことができる。したがって、世界が平和になれば、経済成長は必要なくなり、環境負荷の小さい社会を実現できるようになる。
隣国の経済成長に合わせて自国の経済を成長させなければ、いずれ隣国に追い抜かれることになる。その恐怖からがむしゃらに成長を続ける限りは、環境に配慮する余裕は出てこない。ゆえに平和が必要である。
それを実現するために、私は世界政府の設立を提案している。世界全体を単一の政府が統治することによって、環境問題のみならず、地球規模の様々な問題に適切な対策を行うことができるだろう。
力の均衡による平和は不安定なものである。より安定的な秩序を実現するためには、中央政府を作るより他にない。その実現の方途については、多くの議論が必要である。
参考文献
伊藤正徳『帝国陸軍の最後 1進攻篇』光人社NF文庫、1998
『歴史群像アーカイブ Vol.23 帝国陸軍南方作戦』学研パブリッシング、2012
リデル・ハート『第二次世界大戦 上』中央公論新社、1999
『児島襄戦史著作集 5 太平洋戦争』文芸春秋、1978
早瀬利之『サムライたちの真珠湾』光人社、2007
森史朗『運命の夜明け 真珠湾攻撃全真相』光人社、2003
内閣情報局『週報 第272号』(アジア歴史資料センター、Ref.A06031043400)
山本文史『日英開戦への道』中央公論新社、2016
ルイ・アレン『ビルマ 遠い戦場 上』原書房、1995