格差の拡大が経済を成長させる

保育という仕事は生産性を向上させることが難しい。機械化も効率化もできず、子どもの面倒は人間が見るしかない。そうした手間のかかる仕事を一部の人間に押し付け、残りの人々は生産性の高い仕事に従事する。

後者が生産性を向上させればGDPは増えるが、それが可能になるのは、生産性の低い仕事を他人に任せた結果である。GDPの増大とともに物価は上昇し、同時に保育士の給料も上がる。だがその上昇幅は、より生産性の高い仕事ほどではない。ここに格差が生まれる。

そうしてホワイトカラーの労働者が生産する商品とは、iPhoneや動画サービスなど、生活の役に立たないものばかりである。かれらは本来、有用なものの生産に使える労働力を無用なものの生産に注ぎ込み、その生産性を向上させることでGDPを底上げしている。その一方、有用なものの生産に使用される労働力は圧迫され、過酷な労働を強いられることになる。このような状況では、GDPが増えれば増えるほど格差は広まり、苦しむ人が増えることになる。

政治家は、経済を成長させることが格差の解消につながると主張するが、逆である。先進国の経済はすでに、格差を拡大させなければ成長できない状態にあると考えられる。我々は自分で自分の首を絞めているのだ。

私は別に、金儲けが悪いことだと言っているわけではない。ただ、いまの金持ちは妙に禁欲的である。経営者の間にはいまだにプロテスタンティズムの倫理が残っているようで、彼らは勤勉であると同時に潔癖でもある。

彼らが際限なく金を求めるならば、まだ社会の役に立つだろう。しかし、金を求めると同時に節制を心掛けるならば、害にしかならない。なぜなら、そこには欲がないからである。本当に社会の役に立つ仕事をするためには、自分の欲をとことんまで追求する正直さが必要である。変に無欲を気取ることは、かえって社会の秩序を破壊するだろう。

彼らがとことんまで利益を追求したとき、真に世界平和への道が開ける。私が提唱するように、世界政府を作って世界に平和をもたらすならば、彼らは世界のどこでも自由に商売ができるようになる。というのも、国境のない世界では関税は必要ないし、一つの政治秩序が世界を覆い尽くすときには、交易の障害となるものは何もなくなるからである。ゆえに、彼らが利潤を最大化しようとするならば、当然ながら世界政府の建設に尽力せねばならない。

しかし悲しいかな、彼らにはそれだけの胆力がない。いまの金持ちには欲がなさすぎるのである。人よりも少し金を持っているだけで満足してしまう。だが、それでは真に価値のある仕事はできない。無限に多くの富を追求することによって、平和は実現されるのだ。

実際のところ、資本主義は競争を意味しない。勝者も敗者も必要ない。一部の人間に不利益を押し付けることなしに、みなが豊かになることは可能である。

資本主義が競争と格差を意味するというのは、マルクスによって作られた幻想である。彼は共産主義という理想を強調するために、あえて資本主義を貶めた。資本主義が必然的に貧富の格差を作り出すものならば、共産主義によってこれを破壊するしか、人類の幸福を実現する手段はない。

だが、この二元論的な図式そのものがマルクスによって用意されたものであり、いま資本主義を支持する人々も、結局のところマルクスの提示した資本主義の姿を信じているにすぎない。ゆえに、我々はまずマルクスを克服する必要がある。彼が示した資本主義の姿を否定して、本来の資本主義、本来の経済のあり方を取り戻さねばならない。みなが幸福になる手段としての経済である。

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