コンドーム依存症

少子化問題の答え

いま、日本は少子化に苦しんでいる。若者はたくさんセックスをしているが、不思議なことに子供は生まれない。なぜかといえば、コンドームをつけているからである。少子化対策とは、いかにコンドームを使わせないか、ということに尽きる。

日本の学校では、セックスをするときは、必ずコンドームをつけなさい、という教育をしている。コンドームをつけるのが正しいセックスのやり方です、と学校で教えているので、若者は正しいセックスをするようになった。その結果、子供が生まれなくなったのである。

ちゃんとコンドームをして、みんなで楽しくセックスをしましょう、と学校で教えている。だから少子化になっている。なぜならば、コンドームを使うと、子どもが生まれないからである。

子どもを産ませたいのであれば、コンドームをするな、という教育を行わなければならない。コンドームを使わないのが正しいセックスである。だから、結婚をするまでセックスをしてはいけない。結婚をした後でセックスをするようにしましょう、という教育を行えば、子供が生まれるようになる。

みんなセックスはしたい。でも、結婚をしなければセックスができない、ということになれば、早く結婚したいと思うだろう。そして、結婚年齢が早まるほど、子供の数は増える。これが正しい少子化対策である。

もちろん、コンドームがまったく要らないわけではない。しかし、それはあくまでも夫婦のための道具であり、結婚していない人間が使うべきものではない。そういう常識を作り、教育を行う必要がある。

コンドームは非常に危険な道具であるから、その扱いには十分注意しなければならない。数字をあげれば、2023年の日本の総人口は1億2435万人だったが、2048年には9913万人に減少すると予想されている1。今後25年間で、2000万人以上の人口が消失する。これは原子爆弾の100倍の破壊力である。コンドームは大量破壊兵器といえる。

婚前交渉罪

日本に子どもが生まれない理由は、若者が恋愛ばかりして、結婚をしないからである。恋愛をしている間は、いくらセックスをしても子供は生まれない。なぜならば、コンドームを使っているからである。一方で、結婚をすれば、コンドームを使う必要はない。したがって、我々は恋愛を禁止しなければならない。

話は変わるが、最近、ダウンタウン松本人志の事件が話題になっている。松本に性交を強要されたとする、複数の女性の告発が週刊文春に掲載された。これに対して、松本は文春を名誉棄損で訴え、裁判が開かれている。

本当は、女性たちは強制性交罪で松本を訴えたかったはずだ。しかし、裁判を起こしても有罪を勝ちとるのは難しい。それは、強制性交罪が不同意性交罪に改正されたいまでも、変わらないだろう。

これは前回も指摘したことだが、そもそもセックスに同意はない。私はこれから、あなたとセックスをしようと思います。同意しますか、と、相手に確認する人はいないのだ。そんなことをしたら、この人は何をするつもりだろうか、と警戒され、チャンスを逃してしまう。こういうことは雰囲気ではじまるものなので、どんなセックスにも同意はなく、したがって、不同意性交罪は立証不可能な悪法だということになる。

そこで必要となるのが婚前交渉罪である。婚姻関係にない相手との性交渉は無条件で犯罪とする。こういう法律を作れば、松本の事件も全て有罪にできる。

そもそも、結婚という制度は、私はこの人とセックスをします、という宣言をすることである。ゆえに、同意があるかないかは婚姻関係の有無によって判断されるべきである。つまり、不同意性交罪における同意の有無を、婚姻関係の有無によって置き換えたものが婚前交渉罪である。

現代では、結婚という制度の持つ本来の意味が失われているので、様々な問題が生じている。少子化もその一つである。婚前交渉罪は恋愛の違法化であり、結婚の再定義であり、最後の少子化対策である。これは近代との決別を意味するものになるだろう。

コンドームと男女平等

婚前交渉罪は基本的に、男性を対象とする罪である。これはその理念からいって、妊娠のリスクから女性を守るための法律である。

不同意性交罪はコンドームの存在を前提にしているが、婚前交渉罪はコンドームを前提としない。そして、コンドームを前提にしないということは、セックスをすれば子供ができる、という前提に立つことである。この場合、性交渉の持つ意味はまったく違ってくる。不同意性交罪は精神的・肉体的苦痛に焦点を当てているが、婚前交渉罪は妊娠の可能性を問題とする。

この観点に立てば、男女は不平等な存在となる。なぜならば、女は妊娠するが、男は妊娠しないからである。したがって、法律上でも男女の扱いに差をつけねばならない。性交渉においては、女性側が一方的にリスクを負うことになるので、法律の上では男性に責任をとらせる必要がある。このため、婚前交渉罪は男性に対する罪でなければならず、女性が罪に問われることはない。

ただし、男性側に結婚の意志があり、訴えられた後で婚姻関係を結べば、罪には問われない。また、婚前交渉罪は親告罪であるから、セックスをすれば即逮捕される、というわけではない。しかし、恋愛に対して一定の抑止力になるだろう。

男女が平等であるという幻想はコンドームによって支えられている。そして、それこそが少子化の原因である。子供が生まれない性交渉を前提にした法制度が、少子化社会を作り出している。ゆえに、子供が生まれる性交渉を前提に法制度を設計しなおせば、少子化は解消される。

いま、先進国は軒並みコンドーム依存症に陥っている。コンドームを使いすぎて、子供が生まれなくなっているのである。といっても、コンドームが悪いわけではなく、使い方が悪いのだ。コンドームは夫婦が使うべきものであり、カップルが使うべきではない。その正しい利用法を守らず、コンドームを濫用した結果、子供の数が減っている。

なぜ先進国がコンドームに依存するのかというと、てっとりばやく男女平等を実現するためだ。コンドームをつけているあいだ、男女は平等になる。コンドームを外すと、男女は不平等になる。なぜなら、女は妊娠するが、男は妊娠しないから。この不平等を覆い隠すために、都合よくコンドームが利用され、それが深刻な中毒症状をもたらしているのである。

男女平等を実現するためにコンドームを利用することは誤りである。我々はその代わりに、法の力によって男女平等を実現する。性交渉において、女性が一方的にリスクを負わねばならないのなら、法の力で男性にリスクを負わせ、責任をとらせればよい。それが婚前交渉罪である。これは男女平等と少子化の解消を両立させる唯一の道である。我々は技術に依存するのではなく、理性の力によって男女平等を実現しなければならない。

結婚の意義

ここで、婚前交渉罪は夫婦間の強姦を罪に問えないのではないか、という疑問が生じる。というのも、現行の不同意性交罪は夫婦間の性交渉に対しても適用されるので、DVの抑止になるからである。これについては、離婚をしやすくすることで対応できる。婚前交渉罪は結婚の強制に近いので、離婚のハードルを下げておかないと、つりあいがとれない。

そもそも、恋愛が禁止された場合、男女はどうやって結婚すればよいのだろうか。たぶん、お見合いのような、昔の方法に戻るだろう。そして、お見合いの場合、相手を用意する世話人が必要になる。そこには本人の意思だけでなく、周囲の人々の意思が働くことになる。

恋愛結婚においては、結婚相手を自分の意思で選ぶことになるので、当人だけが責任を負うことになる。自分で選んだことだから、自分の責任だ、という自己責任論である。一方で、お見合い結婚においては、結婚相手をあっせんした人もその結婚に対して責任を負うことになる。親や親類が相手を選んだ場合、彼らにも責任が生じる。そうなると、離婚をしても独りにはならない。その離婚に対して本人だけでなく、周囲の人々も責任を負っているからである。人のせいにできるので、離婚をしやすくなるという寸法だ。

こうしたしがらみを前近代的なものとして否定する人もいるが、その結果が自己責任社会である。我々の社会では、離婚した女性は一人で生きてゆかねばならず、経済的な自立が要求される。ゆえに、男と同じように就職し、キャリアを積む必要があり、その結果、婚期が遅くなり、少子化が進む。八方塞がりである。

自立した個人など幻想にすぎない。個人主義は間違った思想である。それは人間社会を根本から破壊し、再起不可能な打撃を与える。自由主義社会は存在しない。それは人間社会が存在しない状態であり、自然状態に等しい。自由主義によって、日本人は社会を失った。だから、作り直さねばならない。

結婚は社会的つながりを生み出す重要なツールであり、人間社会の基本である。その意味を再確認しよう。

女性の幸せ

少し話題を変えよう。世間には、セックスに関するアンケート、というものがある。出典は示さないが、検索すれば色々出てくると思う。

私が見たものには、理想の経験人数は何人ですか、という質問があった。一生の間に何人の相手と性交渉を持ちたいか、というものである。男性にこの質問をすると、20人とか30人とかいう答えが返ってくる。できるだけ多くの女とやりたい、という意味である。

しかし、同じ質問を女性にぶつけると、1人か2人、と答えるという。1人の男に生涯大事にされたいのだ。それが女性の本心だろう。

何が言いたいかというと、自由恋愛は男性の欲望を満たすための仕組みであり、必ずしも女性を幸せにするものではない。好きな相手とセックスしてよいし、つきあうのも別れるのも自由だ、というこの制度は、男性の欲望を満たすのに都合がよすぎるのである。

基本的に、自由主義は男性本位の思想なので、女性にとって不利益になることが多い。これは男女平等も同じである。女性たちは平等と言われていい気になっているが、実際には自分の首を絞めているだけだ。つくづく、女は馬鹿だと思う。


  1. https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/zenbun/s1_1_1_02.html ↩︎
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