ユダヤ人は善か(1)

最近、元ラーメンズの小林賢太郎氏が、過去のコントが原因でオリンピックの演出から外されるという事件があった。そのコントはホロコーストを茶化す内容だったという。それが不謹慎だという理屈も分かるが、あまり過剰に反応するのもどうかと思う。ホロコーストの相対化まで禁止してしまえば、その歴史的な意義を明らかにすることが難しくなってしまう。

私は、ヒトラーの主張にも一理あると考えている。とくに、ユダヤの文化が悪しきものだという点は正しい。ユダヤ人が神の存在を主張したせいで、キリスト教やイスラム教が生まれた。イスラム教徒はジハードのために、いまや世界中で人を殺しまわっている。存在しない神の命令で人を殺しているのである。このような混乱の原因はユダヤ人にあるのだから、彼らには責任を取ってもらわねばならない。

モーセは神を見たと言ったが、本当に神がいたのであれば、モーセ以外の人にもその姿が見えたはずである。実際にはモーセにしか神は見えなかったのだから、それは幻覚か虚言であろう。失意のユダヤ人を励ますために、不出来な嘘をついたと考えれば納得できる。そこで終われば美談なのだが、ユダヤ人はその嘘を本気にしてしまった。

彼らは、モーセの目の前で海が割れたのは、神の奇跡の顕現だと主張する。もしも、ユダヤ人の前に巨大な神様が現れて、大きな手で海をかき分け道を作ってくれたのだとすれば、それが神の仕業だと理解できる。実際には神の姿は一つも現れず、ただ海の水が引いただけである。それがどうして神の仕業だと言えるのか。海の水が引いたことと、神の存在の間に因果関係があることを示す証拠は全くない。それを神の仕業と言うならば、あらゆる出来事が神の仕業であることになる。これでは子供の屁理屈と変わらない。

だが、ユダヤ人には詐欺の才能があった。存在しないけど存在するとか、存在しないということは存在するということだ、などと小難しいことを言われると、頭がパンクして思考が停止してしまう人がいる。そこに自分の言いたいことを吹き込むと、ああそうなのか、とあっさり信じてしまったりする。洗脳である。そのやり口が非常に巧みだったので、驚くほど多くの人が神の存在を信じるようになった。その結果がキリスト教であり、イスラム教である。

ユダヤ教はぜんぶ間違いでした、嘘でした、ごめんなさい、そうユダヤ人が謝れば、みんな正気に戻るだろう。キリスト教徒もイスラム教徒も梯子を外されることになり、自分の宗教を正当化できなくなる。さもなければ、世界の混乱に終わりはない。我々はユダヤ人に責任を取らせねばならない。彼らの体ではなく心を殺さねばならない。

ここで誰かが、ヒトラーを部分的にでも肯定することは許されない。それがグローバル・スタンダードだ、と言うかもしれない。しかしながら、ユダヤの文化が嘘と偽りに基づくものであり、それが世界規模の問題を引き起こしていることは事実である。もしも、他人の嘘を許容することがグローバル・スタンダードだというならば、そんなスタンダードに従う必要はない。

ユダヤ人がかわいそうな目に遇ったからといって、彼らの話がすべて真実とは限らない。かわいそうな目に遇った人でも、嘘をつくことはある。不出来な嘘が大きな混乱を招くこともあるので、嘘を許すべきではない。悲劇は嘘を正当化しない。

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