私にとって教育とは、階段から突き落とすことである。
論語に「これを如何せん、これを如何せんと言わざるものは、我これを如何ともすること無きのみ」という言葉がある。自分で問題意識を持たない人間は、教育のしようがない、ということである。だから教育を始めるためには、まず問題意識を持たせる必要がある。そのためには、一度崖から突き落として、自分で這い上がってくるように仕向けるしかない。それが上手くできるかどうかで、教育の成果は変わってくると思う。
また、教育においては、見返りを求めてはならない。教育とは、知恵を授けることである。ものの道理を教えることである。そして、ものの道理とは何かといえば、他人を思いやるということである。つまり道徳である。
自分のことしか考えない人間は、結局上手く行かない。本当に成功するのは、自分のことだけでなく、他人のことを思いやれる人間である。それが現実である。それを理解することが知恵であり、それを人に教えることが教育である。
したがって、人にものを教えるということは、施しを教えるということである。自分のものを他人に与えるということ、しかも見返りを求めずに与えるということ、私が人に教えるべきことは、結局そういうことである。ゆえに、私が教育の見返りを求めるならば、私の行為が、私の言葉を裏切ってしまうことになる。よって、教育の見返りを求めてはならない。なぜならば、教育こそが施しだからである。
ものの道理を知るということは、すべての人間にとって最も価値のあることである。だからこそ、教育は最上の施しでなければならない。
ときどき、アメリカやヨーロッパの人々と競争しようと考える日本人がいるが、それは間違っている。なぜならば、西洋人よりも、日本人の方が圧倒的に優れているからである。ゆえに、まともに勝負をすれば我々が勝つに決まっている。だから、そんな大人げないことはするべきではない。
昔の日本人の間違いはそこにあった。競争すべきでない相手と競争しようとしたのである。そうではなく、彼らを教育しよう、と考えるべきであった。
我々には知恵があり、彼らにはそれが欠けているのだから、我々の方が、彼らにそれを与えてやらねばならない。我々がすべきことは、彼らを負かすことではなく、彼らをよりよい状態へと導いてやることである。我々は、彼らに知恵を施さねばならない。それが日本人の使命である。