東京裁判とアジアの開放

1 大東亜戦争は自衛戦争だったのか

大東亜戦争が日本の自存自衛のための戦争だった、という主張が虚偽であるとはどういうことだろうか。このような主張を行う人は、実際には何を主張しているのだろうか。

彼は、日本政府が開戦に踏み切った理由は、本当は自存自衛ではなかったにもかかわらず、真の目的を隠すために、あえてそれが目的だと発表した、と言いたいのだろうか。それとも、あの戦争が自存自衛を目的としたものだということはありえない、と言いたいのだろうか。つまり、戦争の目的と手段が食い違っているために、その目的は真実ではありえない、と言いたいのだろうか。

客観的に見れば、日本が自存自衛のために戦争を始めた、ということは十分にありえることである。当時の国際社会は、今以上に弱肉強食であり、防衛力のない国は、戦争によって領土を切り取られても文句を言えないような時代であった。そういう時代に、自衛のために戦争を行うということは、十分に理にかなっていると言える。とくに英米政府が、日本と戦っている中国政府を支援しているような状況では、自衛のために対英米戦争を行うという選択肢は、十分に理解できるものである。どうしてそれがありえないと言いうるのだろうか。

たとえ日中戦争が侵略を目的としたものだったとしても、対英米戦争までもが侵略戦争だった、ということにはならない。その戦争目的が何だったのであれ、日本が中国と戦争をしている際に、イギリスやアメリカが中国を支援するということは、明らかに日本に対する敵対的行為であり、その脅威を排除するために、日本が対英米開戦に踏み切ったということは、十分に自衛のためだと言えるのではないか。日中戦争と対英米戦争は基本的には別の戦争であり、これらが一貫した目的の下で遂行されたと考えるべき理由はない。むしろ、日中戦争の過程で対英米戦争をせざるをえない状況が生じてしまった、あるいは、そういう状況を英米政府が作り出した、と考えるべきではないか。

このころ戦争回避のために、日米間で交渉を始めようとする動きもあった。しかしアメリカ政府は、日本軍が中国大陸から撤退しない限り交渉には応じず、また中華民国に対する援助も中断しない、という態度を堅持したため、対話による戦争の回避は難しくなってしまった。

アメリカ側の要求は過当なものであった。というのは、そもそも中国はアメリカの保護国でも植民地でもなく、日本が中国と戦争をしているからといって、アメリカに口を出される理由はなかったからである。アメリカ政府は、自国の利害とは直接関係のない中国の問題を、日本との交渉の場に持ち込んでしまったために、戦争を回避する手段を自ら失い、太平洋戦争を引き起こしてしまった。これはアメリカ外交史上最大の失敗であろう。アメリカ外交の欠点は、過去から何も学ばないことである。

おそらく東京裁判においては、両戦争が一貫した目的の下で遂行された、という判決が出ているのだろう。しかしこの裁判は、終戦後に戦勝国の検事たちが敗戦国である日本に乗り込んできて、当時の政治・軍事指導者たちを尋問するという形で行われた裁判であり、その調書や判決に、政治的な意図が全く反映されていないという保証はない。むろん、検事たちが十分慎重かつ客観的に取り調べを行ったことを疑うつもりはないが、本人が気づかないうちに、特定の考え方や偏見を抱いてしまっているということは、十分にありえることである。とくにそれが今まで戦争をしていた相手国に対してであれば、無意識のうちに偏見を抱いていた可能性を排除することはできない。

何が言いたいかというと、東京裁判の記録には歴史資料としての価値は乏しい、ということである。ゆえに、正しい歴史認識を得るための基本資料として、東京裁判の記録を利用することは避けたほうがよいと言える。

一部の人々は、大東亜戦争は自衛戦争だった、という主張を一種の言論ゲームだと考えているらしいが、東京裁判の判決文を歴史的事実とみなす立場の方が、言論ゲームと呼ばれてしかるべきであろう。そこには、歴史の真実を尊重する態度が完全に欠如している。

2 歴史修正主義と戦争犯罪

また、歴史修正主義というと、ヨーロッパにおけるホロコースト否定論がよく取り上げられるが、これを大東亜戦争の問題と結びつけることはできない。大東亜戦争は自衛のための戦争だった、という主張と、ホロコーストは実在しなかった、という主張は全く異なるものであり、後者が否定されたからといって、前者も否定されるべきだ、ということにはならない。これらを同列に論じること自体が誤りである。

断っておくが、私は南京虐殺や、七三一部隊による人体実験を否定するつもりはない。これらの問題に関する私の意見は、既に明らかにしているつもりである。南京虐殺に関しては、おそらくその規模よりも、何らか象徴的な事件があり、その記憶が中国人の中に強く残っているのだろう。

また、慰安婦の問題もよく取り沙汰される。これに関しては詳しいことは知らないのだが、まあそういうこともあるだろう、としか思えない。兵隊が戦うのは戦利品を得るためであって、報酬がなければ士気は上がらない。当然のことである。よいか悪いかは別にして、兵隊を動かすためには息抜きも必要である。

この問題に関しては、感情的な議論が多いようである。東南アジアで日本兵がレイプをしたとか、韓国の慰安婦がどうのこうのという話をよく聞く。もちろん彼らにとっては、インドネシアの女をレイプするくらいなら、日本が滅びたほうがましだった、ということなのだろうが、我々にとってはそういうわけにはいかない。別にレイプが目的で戦争を始めたわけではないが、副産物としてそうした行為が現れるのは、ある程度は仕方ないことである。

たしかにこれに関しては、日本の戦争目的が自衛だったのかどうかということは、重要なのかもしれない。もちろん自衛のためだったからといって、レイプが正当化されるわけではないが、量刑には関わるだろう。たとえば日本軍がブリテン島に上陸し、イギリス女を片っ端からレイプしたのだとすれば、それは戦争目的と照らして、必ずしも間違った行為とは言えないだろう。しかし、アジアの一般市民に対して暴行を加えたということは、単に犯罪行為というだけではなく、戦争目的の完遂を困難にするという点から見ても、誤りだったと言わざるをえない。

あるいは、シンガポールにおける華僑の虐殺を、日本の戦争犯罪として糾弾する人がいるかもしれない。この事件は一見不可解にも思われるが、大東亜戦争が自衛のための戦争だったとすれば、ある程度合理的な説明は可能であろう。中華民国が英米政府と協力関係にあったことは明らかなのだから、シンガポールの華僑たちがイギリス政府と通じている可能性もないとは言えない。ゆえに、日本の統治を盤石なものにするために、異分子になりうる勢力をあらかじめ排除しようとしたのだろう。やり方は非常に荒っぽかったが、戦争目的と照らして必ずしも誤りとは言えない。

私は別に、大東亜戦争における日本軍の犯罪行為を免責したいわけではない。ただ、それがどのような意図のもとで、また、どのような状況においてなされたのか、という事実を明らかにしたいだけである。

だが、ひょっとすると、大東亜戦争が自衛戦争だったという意見を否定する人々は、あの戦争が対英米戦争だったということ自体を否定したいのかもしれない。彼らは、日本が戦った相手は東南アジアの人々であり、イギリスやアメリカではない、と主張したいのかもしれない。

しかし、この主張は不可解である。たとえば、当時のビルマはイギリス領であったため、日本が交戦したのはビルマを守備するイギリス軍であって、ビルマ人の軍隊と交戦したわけではない。つまり、日本が戦った相手はイギリス政府であり、ビルマ人ではなかった。というより、そもそも当時のビルマには、ビルマ人による国家もビルマ人による軍隊も存在しなかったのだから、日本がビルマと戦うことは不可能である。日本軍はイギリス軍と戦ったのであり、ビルマ人によるビルマ人の軍隊と戦ったわけではない。このことからも、大東亜戦争が対英米戦争だったことは明らかである。大東亜戦争は自衛のための戦争ではなかった、と主張する人々は、いったい何を根拠にそのような主張を行うのか、具体的に説明してほしいものである。

ついでに戦争の結果について一言しておくと、大東亜戦争の目的が自存自衛だったのだとすると、戦後日本の独立と天皇制の継続によって、その目的は達成されたことになる。ゆえに、大東亜戦争は日本の勝利である。これが歴史的な事実である。

歴史修正主義を批判する人々は、日本が勝ったということを認めたくないのだろう。しかし、もしも日本が負けたのであれば、どうして日本に天皇がいるのか。天皇が続いているということは、日本が勝ったということを意味しているのではないか。実際は、日本は負けたと主張する人々こそが、歴史を修正しようとしているのである。

3 東京裁判によって何が実現されたのか

私は昔から戦争の話が好きで、高校生の頃の愛読書は『アレクサンドロス大王東征記』だった。他にもいろいろな本を読んで、戦争の歴史を学んでいた。

その後、太平洋戦争について調べ始めたときに、まず私が感じたことは、これがどうして日本の負けだと言えるのか、という疑問だった。あの戦争の前後の状況を比較してみると、どうしても日本が負けたとは思えなかったのである。むしろ、戦争が始まる前よりも、戦争が終わった後の方が、日本を取り巻く国際環境は改善しているように見えた。

まず、日本は日本列島を失っていない。列島が失われていれば、さすがに日本の勝ちだとは言えないが、日本が失ったのは千島と沖縄のみであり、本州や四国、九州、北海道は守り抜いている。もちろん沖縄の喪失は大きく、いまも完全に取り戻せたとは言いがたい状況である。また千島に関しては、日本政府はすでに返還をあきらめているようでもある。このような失点はたしかに存在するが、大局的に見れば、アジア諸国の独立は日本にとって大きな成果であり、日本の繁栄を保証した戦争の果実である。

そもそも、日本があの戦争を行う前までは、アジアにはアジア人による国家がほとんど存在しなかった。中国にはまともな国家は存在しなかったし、東南アジアは列強の植民地とされ、タイと日本を除いては、アジア人の国家は存在しないと言ってよかった。その状況が変わり、アジアにおいてアジア人の国家が生まれ始めたのは、大東亜戦争の結果であろう。日本はアジア各地に独立政府を作らせ、アジア人による国家の存在を既成事実としてしまった。このことの意味は非常に大きい。

このように、戦争の前後の状況を比較すると、必ずしも日本にとって不利な状況ばかりが生じたとは言えず、むしろ日本の努力によって改善した部分の方が多い。たしかにアメリカ軍の空爆によって日本の主要都市は壊滅していたが、それはまた作り直せばよかった。空爆による建物の破壊と、軍隊による占領とはまるで意味が違う。連合国軍は、日本政府の同意のもとで日本列島に降り立ったのであって、力によって日本を屈服させたわけではなかった。

これを見てどうして日本が負けたと思えるのか、私には分からない。むしろ、日本は負けた、と連合国に思い込ませた日本政府の力量に、感服するのみである。

また、東京裁判に対する私自身の印象は、どうもやらせ臭い、ということである。あれは勝者の裁きというよりは、アメリカが、自分にとって都合のよい歴史解釈を見つけられるように、日本側がお膳立てした裁判仕立ての研究会のようなものだったのではないか。

東京裁判においては、検察側の証人に対する弁護側の反対尋問が許されていないなど、通常の裁判を進めるために必要な手続きが備わっておらず、そもそもまともな裁判を行うつもりがあったのかどうか、疑問である。客観的な判断を行うための手段を奪われることによって、連合国の検事たちは、自分たちに都合のよい解釈をでっちあげるように仕向けられていた、とも考えられる。

連合国は、東京裁判によって、戦争の結果として生じた世界が、自分たちの望んだものであったことを確認した。たとえばアメリカは、日本の中国侵略を非難することを通して、自分たちに中国に対する野心がないことを確認した。またイギリスは、日本のアジア侵略を非難することを通して、自分たちが植民地を放棄するつもりだったことを確認した。彼らはあの裁判を通して、実際に戦争を始めた動機とは正反対のことを認めさせられたのである。

実際にはイギリス政府は、彼らの植民地帝国を守るために戦った。だが、日本のアジア侵略を非難することで、自分たちの植民地支配にも正当性がないことを認めざるをえなくなってしまった。アメリカも同様で、中華民国に対する一貫した援助からも明らかなように、中国を自分たちの植民地であるかのように扱った。しかし日本の中国侵略を非難することで、中国がアメリカのものではなく、独立した国家であることを認めざるをえなくなってしまった。これによって、アジアの独立が国際的に承認されたのである。

東京裁判の持つ政治的な意味は非常に大きかったと言わねばならない。

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