大東亜戦争史(1)

序言

もとより私は歴史家ではないので、歴史を体系的に叙述する方法を知らない。しかし、これから日本人が進むべき道を指し示すために、我々がいままで辿ってきた歴史を語りなおさねばならない。

人類の歴史は統合に向かう。古代の都市国家の時代から、人類は何度も社会の分裂を経験したが、その度に統一国家を生み出し、秩序を回復してきた。直近では、中世の分裂を経て近代的な国家による統合が実現し、それが現在まで続いている。しかし近代的なナショナリズムは国家内部の結合を強める一方で、国家間の対立を激化させたため、現代の世界はまるで中世的な分裂状態に逆戻りしたように見える。

だが、人類の歴史はまだ終わっていない。我々はこの分裂時代の後に、輝かしい統一国家を実現しなければならない。一度分裂した人類社会は必ず統合へと向かう。我々はこれから新しい歴史を作ってゆかねばならない。

では、現代の世界において、人類の統合を阻んでいるものは何か。何が統一国家の実現を妨げているのか。我々はまずその原因を明らかにし、その後でそれを克服する手段を考えねばならない。過去を振り返り正しい歴史認識を得ることで、それが可能になるだろう。

私には、すべての原因はあの戦争にあるように思われる。あの戦争の解釈を間違えたことから、我々は歴史の袋小路にはまってしまったのではないか。まずここから考察を始めよう。大東亜戦争とは何であり、誰が勝利を収めたのか。否、我々はいかにして戦争に勝利したのか、その道筋を明らかにしよう。

戦争への道のり

話の筋は分かっている。ヨーロッパにおける産業と科学の発展が、彼らをして世界中に植民地を築かしめ、アジア人の自由を奪うこととなった。それは同時に経済の閉塞を招き、いわゆるブロック経済によって日本は経済的に追い詰められ、大戦へと至ったのである。

そもそもの原因はヨーロッパ人による植民地の建設であり、その悪弊を打ち破るために日本人は立ち上がった。このとき注意すべきは、ヨーロッパ側には、植民地を手放すつもりなどさらさらなかったということである。それは戦後フランスが行ったインドシナ戦争や、アメリカが介入したベトナム戦争を見ればわかる。これらの戦争は明らかに植民地政策の延長線上にあり、その残滓であると言える。

このような背景を理解した上で、太平洋戦争の発端を考えてみると、奇妙な点に気づく。この戦争は日本の奇襲によって始まったとされている。では、アメリカには日本と戦争をする理由はなかったのだろうか。

アメリカのベトナム戦争への介入は、彼らにアジアへの野心があったことを証明している。アジアにおいて覇権を確立することは、帝国主義全盛の時代において、彼らが当然目指すべき目標だったはずである。その野心はハワイの併合やフィリピンの植民地化として、二十世紀初頭のアメリカに顕著に現れている。そして大戦後のアメリカにも、ベトナムにおいて示されたように同様の野心があったのだとすれば、その中間に当たる大戦期のアメリカにおいてだけ、野心が欠け落ちていたと考えるのは不自然である。

ゆえに、太平洋戦争当時のアメリカにも、アジアへの野心があったと考えてよいだろう。そうだとすれば、日本との関係が悪化しつつある時期にあって、彼らがいっそ日本を軍事的に屈服させてしまおうと考えることは自然なことではないか。アメリカの領土拡大にとって最も邪魔な存在は日本である。日本を支配下におさめれば、アジアはアメリカの思い通りになるだろう。この点に注意すると、アメリカは事前に日本との戦争を計画していた、という仮説が成り立つのである。

米墨戦争

では、その計画はどのようなものであったか。これを知るためには、アメリカの歴史を紐解いてみなければならない。我々が注目するのは米墨戦争である。

1821年、メキシコはスペインから独立した。当時のメキシコの領土はいまよりも大きく、カリフォルニア、ニューメキシコ、テキサスなど、現在のアメリカ合衆国西部を構成する諸州を領有していた。これらの州は人口が少なかったため、メキシコ政府はアメリカからの移民を容認していた。

中でもテキサス州はアメリカ移民の数が多く、奴隷を用いた綿花プランテーションの経営が盛んであった。そのため1824年、メキシコ政府が奴隷制を禁止する憲法を制定すると、アメリカ移民のメキシコへの反発が強まり、1836年にテキサス州はメキシコからの独立を宣言した。メキシコのサンタ・アナ将軍は独立を阻止するため出兵し、アラモ砦などで勝利を収めたが、その後テキサス軍の反撃にあい捕虜となってしまった。

メキシコ政府は将軍の身柄と引き換えにテキサスの独立を認める形となったが、その後も軍事的干渉を続けたため、テキサス政府はアメリカへの併合を望むようになった。アメリカははじめ、メキシコとの軍事衝突を恐れてテキサス併合をためらっていた。しかし、1845年に膨張主義を掲げるジェームズ・ポークが大統領に就任すると、その年にテキサスの併合を決定した。

当時のメキシコの政治情勢は麻のように乱れており、国家としての一貫性に欠けていた。その混乱を見透かしたように、アメリカはメキシコへの挑発を始めた。アメリカ政府は、テキサス併合時にメキシコとの国境をリオ・グランデ川と定めたが、これはメキシコ側が国境と主張するヌエセス川よりも南に位置していた。メキシコが国境の変更を拒否すると、アメリカはリオ・グランデ川の北岸まで軍を進めた。この行動を領土侵犯と判断したメキシコ軍は攻撃を開始し、アメリカ軍に十数人の死傷者を出した。

これを受けてアメリカ大統領ポークは、「メキシコがアメリカ領に侵入し、アメリカ人を殺傷した」と説明し、議会に宣戦布告を承認させ、戦争が始まった。開戦後一年半でアメリカ軍は首都メキシコシティを占領し、アメリカの勝利は確実なものとなった。その後講和条約が締結され、メキシコ政府はカリフォルニア等の諸州をアメリカに割譲することに合意した。

そもそも、戦争勃発前からアメリカに領土的な野心があったことは、1845年の大統領選において、ポークがテキサス併合を公約として掲げていたことからも明らかである。彼は大統領就任後、メキシコ政府にカリフォルニアとニューメキシコの買収を持ちかけたが、それが容れられないと分かると、武力を用いることに決めた。しかも自分から仕掛けるのではなく、相手が先に攻撃を始めるよう挑発を行い、そのあとで防衛のためとして軍事力の発動を正当化したのである。

これがアメリカの戦争の特徴である。敵を挑発し、自軍の先遣部隊を攻撃させ、その反撃と称して主力部隊を敵地奥深くまで進攻させる。メキシコ戦争の場合、開戦後アメリカ軍は速やかにカリフォルニアを奪取し、メキシコ湾、リオ・グランデ川からも進攻を始め、陸海両面からメキシコ軍を圧倒した。これは非常に攻撃的な戦争であり、正当防衛というアメリカ側の主張がただの言い訳にすぎないことは、誰の目にも明らかである。しかし、アメリカの対外的な膨張主義と「自由の守護者」という理想像を調停するためには、どうしてもこの言い訳が必要だった。これがアメリカの限界であり、弱点である。

アメリカの計画

さて、話を我々の戦争に戻そう。よくある「真珠湾事件はアメリカ政府の陰謀だった」という説は、米墨戦争におけるアメリカ側の行動を、太平洋戦争に当てはめたものである。アメリカは戦争を正当化するために相手を挑発し、先に手を出させようとする。日本はその策略にはまって、むざむざ真珠湾を攻撃してしまったのだ、という意見である。

これはおそらく半分正解である。半分というのは、米墨戦争においてアメリカが攻撃されたのは先遣部隊であり、損害は兵士十数人にすぎず、アメリカ軍の主力は無傷だった。そのため、メキシコ側の攻撃の直後から反撃を始めることができた。一方、真珠湾においては、アメリカは海軍の主力部隊を殲滅されてしまったのである。この点が米墨戦争とは異なる。

そこで、次のような仮説が成り立つ。もしもアメリカが、米墨戦争と同じような成り行きを対日戦争において期待していたのだとしたら、彼らは、日本軍はアメリカの先遣部隊を攻撃するはずだ、と考えていたことになる。まず、東南アジアにおける米軍基地の一つを日本軍が奇襲する。その知らせを受けて、本国に待機していた軍主力が出動し、日本進攻を始めるという計画である。この場合、軍主力とはアメリカ海軍の太平洋艦隊であり、全艦隊がすぐにでも出撃できるように、真珠湾に集められていたと考えられる。

しかし、アメリカの目論見はもろくも崩れ去った。日本はメキシコのようにアメリカの尖兵を攻撃するのではなく、一挙にその本体を撃滅してしまったのである。これはアメリカの誤算であり、人類の歴史上最大級の軍事的失敗である。このような失敗の背景に何があるかということは、すでに様々な人が研究していることと思うが、あえて一つだけ理由を挙げるとすれば、空母の過小評価であろう。空母機動部隊による強襲作戦がどれだけの威力を発揮するか、アメリカ政府首脳部は正確に理解していなかったのではないか。ここにはまたシビリアン・コントロールの落とし穴があったと思うのだが、その話は別の機会にゆずろう。

アメリカは真珠湾の失敗によって、一瞬のうちに太平洋の制海権を失った。もちろんすぐに太平洋艦隊の再建に着手しはしたが、アメリカと言えどそれには数か月を要した。その間に日本軍は破竹の快進撃を続け、大東亜共栄圏を確立してしまう。アメリカはその後も涙ぐましい努力を続け、三年がかりでようやく日本の勢力圏を真珠湾以前の状態まで押し戻すことに成功した。そこで力尽き、戦争は終わった。

米墨戦争において、アメリカ側に領土的野心があったことは明白である。なぜならば、戦争の後でアメリカは実際に領土を手に入れているからである。一方、太平洋戦争において、アメリカに領土的野心があったことは知られていない。なぜかというと、戦争を通してアメリカは何も手に入れていないからである。しかし、彼らが実際に領土を獲得しなかったということは、彼らが領土的野心を持っていなかったことを意味しない。彼らはただ失敗しただけである。

アメリカ政府の夢想の中では、次のような光景が繰り広げられていた。日本軍による米軍基地急襲の知らせを受けて、ハワイの太平洋艦隊が一斉に出撃し、その圧倒的な軍事力をもって日本軍を屈服させ、瞬く間に首都東京を占領する。それは甘美な夢であり、約束された栄光であった。その一瞬後、現実に直面したアメリカ人はそれを拒絶し、夢の中に逃避することを選んだ。アメリカが負けるはずがない、アメリカの栄光が汚されるはずがない、そのような妄念にとらわれた国民は、ルーズベルトの嘘にむしろ喜んで騙されたのである。

真珠湾への奇襲攻撃が成功した時点で、アメリカの敗北は決定していたと言える。日本軍はアメリカの軍事力だけでなく、その野心をも打ち砕いてしまったのである。

領土の獲得という欲望を否定されたアメリカは、自由の守護者という理想にしがみつくことで、かろうじて自我を保つことができた。だが野心を失ったいまのアメリカは、むしろ以前より残虐さと無軌道さを増しているように見える。アメリカはまず、自らの欲望と向き合わねばならない。そして敗北を受け入れねばならない。それが成長へ向かう唯一の道である。

戦後の世界

では、この戦争によって世界はどう変わったのだろうか。植民地帝国の崩壊によって多くの独立国家が誕生し、それによりブロック経済は否定され、経済の自由度は増した。一方で、ソ連とアメリカという二大国家の対立が激しくなり、世界を二分する勢力争いが始まった。その冷戦の終わりとともに世界は統合され、平和に向かうかに思われたが、逆に民族・国家間の対立が表面化し、戦争が頻発するようになってしまった。

これは国民国家という統合の形が、すでに弊害しか生まなくなっていることを意味している。我々は、ナショナリズムに代わる新しい統合の中心を作り出さねばならない。それは超国家的な団結を人々の心に呼び起こすものでなければならない。本当は、中心は何でもよい。何でもよいが、具体的な形をとった何かでなければならない。それは人々の心に統合の希望を与えるものでなければならない。そのような中心が生まれることを私は願う。

参考文献

油井大三郎『好戦の共和国アメリカ』岩波新書、2008
山崎眞次『メキシコ 民族の誇りと闘い』新評論、2004
『宮崎市定全集18 アジア史』岩波書店、1993


いまはまだ考えていないが、(2)を書くとすれば、満洲事変と日中戦争に関するものになると思う。

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