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先の論考で、地球上のすべてのプルトニウムを廃棄する、という計画を提案しました。これが可能かどうかは分かりませんが、不可能であることが証明されない間は、この計画を進めることにも何らかの正当性があると言えるでしょう。
しかし、もしかすると、この計画にあからさまに反対する国があるかもしれません。ですが、核開発をうまく進めるためには、世界中で足並みをそろえる必要があります。したがって、もしもそのような国があったならば、何らかの圧力をかけてこの計画に従わせる、ということも視野に入れねばなりません。
私が念頭に置いているのは、アメリカです。
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以下の話は、ただの想定です。
たとえば、日本と中国と韓国のGDPを合わせれば、アメリカに匹敵する規模になるでしょう。この三国が力を合わせれば、アメリカに圧力をかけることも不可能ではないと思われます。
もしも、日本と韓国が同時に離反したならば、そして、この二国が中国と軍事同盟を結んだならば、アメリカにどのような対処が可能でしょうか。それは、アメリカに対する圧力となりうるのではないでしょうか。
しかし、これだけでは十分ではありません。このままでは、ヨーロッパを見逃してしまうことになります。ヨーロッパとアメリカの人々は、基本的な価値観と文化を共有しています。したがって、もしもヨーロッパに何の対処も行わないならば、アメリカに逃げ道を用意することになるでしょう。しかしながら、東アジアの国々の力だけでは、ヨーロッパにも同時に圧力をかけることは不可能です。ヨーロッパは、また別の勢力に対処してもらわねばなりません。
イスラム諸国家は、現在のところ、互いに反目し合っているように見えます。しかし、もしも彼らが協力し合い、団結することができれば、イスラム圏はヨーロッパに対抗しうる勢力となるでしょう。それが実現できたならば、彼らにヨーロッパを押さえてもらうことができます。
ヨーロッパ対イスラム。
アメリカ対東アジア。
これが、世界の分割、天下三分の計です。
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三分とは、大雑把に言えば、仏教文化圏、イスラム教文化圏、キリスト教文化圏の三つに世界を分けることです。
これである程度、力のバランスがとれるのではないでしょうか。この構図が実現したならば、アメリカに圧力をかけることも不可能ではないはずです。
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しかし、日本と中国が手を組むことなど可能でしょうか。そこに、どのような道理があるのでしょうか。
まず、九・一一同時多発テロから話を始めます。
あのようなテロが引き起こされた原因については、様々な分析がなされています。しかし基本的には、アメリカの中東・中央アジア問題に対する介入が、テロ組織アルカイダを生み出した、と言うことができると思います。
たとえば、一九八〇年に始まったイラン・イラク戦争において、アメリカやヨーロッパ諸国は、イラクのサダム・フセインを支持し、援助を与えました。また、ソ連のアフガン侵攻に際して、アメリカはソ連に敵対するイスラム勢力を支援し続けました。
欧米諸国は、中東で騒動が起こるたびに軍事支援を行い、武器を提供し、火に油を注ぎました。現地の若者に訓練を受けさせ、戦争に参加させることもありました。そのような試みの中から、アルカイダが生まれたのです。
彼らはなぜ、そのようなことをするのでしょうか。
それは、イスラム教徒同士に、また一般に、自国に敵対する勢力同士に、殺し合いをさせるためです。イスラム教徒が互いに殺し合えば、彼らの力は削がれます。それによって漁夫の利を得るのは、アメリカやヨーロッパ諸国です。アメリカは、イスラム教徒に殺し合いをさせるために、彼らに武器を与えてきたのです。
しかし、そのような行いは許されるべきではありません。そして実際に、アメリカはしっぺ返しを受けることになります。それが、九・一一のテロリズムなのです。
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さて、このようなアメリカ人の行動原理は、昔から少しも変わっていません。以前は中国において、このような活動が行われていました。
日中戦争が行われている間、蒋介石は、イギリスとアメリカから武器の支援を受け続けていました。それによって彼は、いつまでも戦争を続けることが可能になったのです。その結果、日本人と中国人は果てしない殺し合いをすることになりました。アメリカの目的は、それによって日中双方の力を削ぐことだったのでしょう。
このことに関して、アメリカはしっぺ返しを受けたでしょうか。
たしかに受けました。それが、太平洋戦争です。
日中戦争における蒋介石の役割は、イラン・イラク戦争におけるサダム・フセインと同じです。彼は利用されるだけ利用され、戦争が終わったとたんに捨てられたのです。
私たちは、欧米人のこのような行いを黙って見過ごすべきではありません。私たちは今まで、許すべきでないことまで、許してしまっていたのではないでしょうか。
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他人に殺し合いをさせるために武器を与えるという行為は、人として間違っています。
しかし、キリスト教徒は人ではありません。彼らは動物と同じです。彼らには、やってよいことと悪いことの区別がついていないのです。彼らは、自分の過去の行いから学習することができません。そのために、同じ過ちを何度でも繰り返してしまいます。
より大きな罪を犯さなければ、より小さな罪が許されるわけではありません。それぞれの罪には、その大きさに応じた報いが待っています。自らの行いの報いから、逃れることはできません。
人間には、やっていいことと悪いことがあります。
日本人であれば、この言葉を幼いころから聞かされて育っています。しかし、ヨーロッパの人びとは、まだ一度も、誰からも、そのようなことを教わっていないのです。ゆえに、彼らに物の道理を教えることは、日本人の義務です。
ヨーロッパの文明は極端に原始的で、幼稚なものです。アジア人の精神文化を四十五歳の成熟した大人にたとえるならば、ヨーロッパの文明は十二歳の子供にたとえられるでしょう。
彼らはまだ仏陀を知りません。私たちは、人としての基本的な心構えを、彼らに教えてやらねばなりません。
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以上が、天下三分を正当化するロジックです。
要約すれば、日本にとって本当の敵は中国ではない。中国にとっても、本当の敵は日本ではない。本当の敵はアメリカなのだ、ということです。理屈はいくらでも付くものです。
これと同じロジックによって、イスラム諸国がまとまってくれればよいのですが、それは期待しすぎかもしれません。イスラム教徒は石頭だから。