1
チベットの存在には、地政学上の重要性がある。チベットの独立が達成されれば、日本とともに、西と東から中国を圧迫することができる。また、北にはモンゴル、南には ASEAN があり、これで包囲網は完成する。
我々は、チベットの独立を達成するために、台湾政府を利用するべきである。というのも、少しややこしい話になるが、清朝の最後の皇帝から禅譲を受けたのは、中華民国政府である。したがって、中国王朝の正統を受け継いでいるのは、中華民国であって、中華人民共和国ではない。もしも、清朝がチベットを支配していたのだとすれば、その支配権はいまだに中華民国にあると言うことができる。
ゆえに、仮に台湾政府がチベットの独立を認めるならば、それは、中国人にとって非常に重大な意味を持つことになる。そのとき、それを認めない中国人がいたとしたら、彼は中国の歴史と伝統を否定することになるだろう。
日本政府は、台湾政府に、チベットの独立を宣言するよう働きかけるべきである。その宣言の後で、日本政府がそれを追認し、世界中にチベットを国家として認めさせる。このようなやり方で、チベットの独立を進められないだろうか。
1.1
たとえば、西遊記というお話の中で、お釈迦様は孫悟空の頭に金の輪っかをはめる。悟空が悪さをしようとすると、その輪っかが縮み、悟空を懲らしめる。私の提案は、中国人の頭に、このような輪っかをはめようというものである。中国を取り囲む諸国家・地域が連携して、中国の動きをけん制する。
そして、これら諸国の友好関係は、仏教を基調として育まれることになるだろう。中国の周辺地域に仏教が根付いているのは、偶然ではないように思われる。
日本という国には、世界平和を実現するだけの力がある。我々はそのことを認識しなければならない。
2
ポツダム宣言では、日本に対して、カイロ宣言の履行が義務付けられている。そしてカイロ宣言では、日本は、清国から盗取した満洲や台湾を、中華民国に返還する、ということになっている。これを言葉通りに解釈するならば、満洲と台湾を領有する権利は中華民国にあって、中華人民共和国にはない、ということになる。
一方で、日中共同声明によれば、日本政府は、中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを認めている。
そうすると問題は、清国政府が、中国の政府だったのか、という点にあることになる。つまり、清国政府が満洲人の政府であり、中国の政府ではなかったのだとすれば、これらの宣言や声明からだけでは、中華人民共和国が満洲と台湾を領有すべきことを、日本政府が認めているということにはならない。
そして中華民国は、そのような満洲人国家としての清国の後継国家なのであって、単に中国の政府であるとは言えない。日本はカイロ宣言を履行することで、台湾と満洲を中華民国に返還したが、中華人民共和国に返還したわけではない。
ゆえに、この立場からは、満洲を盗取したのは中華人民共和国である、と言える。つまり、満洲は中国ではない、という立場からすれば、である。満洲人から盗んだものを、中国人に返すことはできない。
清国は満洲人の国家であり、中国はその植民地に過ぎなかった。清国は中国を包含する、中国よりもさらに大きな国家だったのである。清国皇帝は中国の皇帝を兼ねていたが、中国だけの皇帝であったわけではない。彼は同時にモンゴル皇帝であり、満洲皇帝であり、また、チベット法王の施主として、チベットを保護する義務があった。
この見方をとるならば、次に示すカイロ宣言の一文は、不正確であると言わざるをえない。
“all the territories Japan has stolen from the Chinese, such as Manchuria, Formosa, and The Pescadores, shall be restored to the Republic of China”
文中の the Chinese は、正確には Qing(清)か the Manchu(満洲人)でなければならない。日本は下関条約によって、清国政府から台湾を割与されている。つまり、日本が台湾を割与されたのは、清国政府からであって、中国人からではない。また、日本は非合法に台湾を領有したわけではないから、stolen という表現も不正確である。
これが単なる事実の誤認であるのか、それとも意図的な歪曲であるのかは、今は問わない。しかし、これらの表現が間違いであることは明らかである。また、そもそもこの宣言には署名が欠けており、外交文書として扱うべきではない、という意見もある。以上の理由から、カイロ宣言の有効性には疑問の余地があると言える。
中華人民共和国の主権は、南北モンゴル、チベット、東トルキスタン、満洲、台湾には及ばない。人民解放軍が、住民の同意なしにこれらの地域を占領することは、不法行為とみなされるべきである。
2.1
欧米人は、世界中至る所で紛争の種をまき、それによって自分自身を苦しめ続けている。愚かと言うのも愚かである。
キリスト教の倫理では、嘘つきを裁くことはできない。なぜならば、キリスト教の教義そのものが嘘だからである。だから、キリスト教徒は平気で嘘をつく。人間には嘘をつく権利がある、ということが全ての前提になっている。それが西洋文明の本質である。
しかし、そもそも彼らには、嘘をつくつもりはなかったのかもしれない。ただ、満洲人と中国人が区別できなかっただけかもしれない。だから、チベット人と中国人の区別もできないのだろう。そのような人々に口を出されれば、現場は混乱するだけだ。
西洋人はまず、自分の無知を自覚するべきである。この世に白色人種ほど知恵の劣った人々はいない。