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東京都知事は、感染症対策のために密を避けるべきだと言っている。だが、東京という都市そのものが三密である。東京がなくなれば、それが最大の感染症対策になるだろう。
我々は、都市の人口を減らすべきである。都市の人口密度を減らし、地方の人口を増やすことによって、大都市で災害が起きても、社会の機能を維持できるようになる。また人口密度が減れば、感染症に対する抵抗力も強くなり、対策も行いやすい。
大都市圏は経済の中心になるので、人口が増えたほうが経済の規模が大きくなり、それが社会全体に活力を与えることになる。しかしあまり人が集まりすぎると、都市の脆弱性が高くなるし、周辺地域の都市への依存度も高くなる。つまり、一つの都市が機能しなくなっただけで、社会全体が停滞することになりかねない。そうした事態を防ぐために、人口の分散を進める必要がある。
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私は、政府が人間の移動を制限すべきだと考える。移動の自由は人間の自然な権利だと言われているが、それを認める限り、人口密度の調節は難しい。また人口政策を考える上でも、移動の自由は望ましくない。
ある地域において人口に関する政策を立てるならば、その地域の外から人間が流入したり、あるいは、地域の外に人間が流出することは望ましくない。その地域に生まれた人間は、ずっとその地域で暮らす、という前提があることで、はじめて長期的な人口政策を実行できる。人口を増加させるためにも、また減少させるためにも、移動の制限は必要だと思われる。
もちろん、それを完全に制限することは現実的ではない。具体的な方法はまだ分からないが、移動の制限が、身分制と相性がよいことは指摘しておかねばならない。ある職種の人間には移動が認められ、別の職種の人間にはそれが認められない、という区別を設けることで、移動の量を調節できるようになる。その場合、職業は基本的に世襲となる。つまり封建制である。
そうすると、職業選択の自由まで否定されることになるので、このやり方には無理があるかもしれない。我々は、現代社会の状況に合わせたやり方で、移動を制限する方法を考えねばならない。
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江戸時代には、農民は基本的に定住で、移動の自由は認められていない。もっとも、それは長男に限った話で、次男以下がどういう扱いを受けていたのか、私はよく知らない。一方で、職人や商人には、ある程度移動の自由が認められていた。このように、封建制の社会では、移動の制限が自然に実現されていたわけである。人口問題と併せて考えると、これは非常に興味深い事実である。
江戸時代の人口は、ほぼ一定であったと考えられている。戦国時代から江戸初期にかけて人口の爆発があったが、江戸中期から後期にかけては人口が一定する。その後、明治維新とともに再び人口の爆発が始まり、現代に至るわけである。
江戸時代を挟んだ前後には、人口の顕著な増加が観察されるが、江戸時代そのものは、人口が減りもせず、増えもしない時代であった。人口の推移をグラフで見ると、この時期だけがプラトーを構成している。これは自然に起きたものとは考えられない。江戸初期と明治期に、何らかの社会構造の変化があり、それによって、人口の動態が変化したと考えるべきであろう。
つまり、江戸時代にも人口増加の潜在的な力はあったが、人為的に人口が制御されていたのである。これは現代のいかなる政府にも為しえないことであり、人類史上に例を見ない偉業であった。それを実現したのが日本特有の封建社会である。
人口構成の変化は、社会の不安定化をもたらす。ゆえに、政治というものが社会の秩序を維持するためにあるのならば、政府には人口を制御することが期待される。そして、それを実現するために人間の自由を否定する必要があるのなら、それは部分的にでも否定されねばならない。
人口の増加は決してよいことではない。人口の増加には人口構成の変化が伴い、それは社会の秩序を破壊しかねない。また、増加した人口の需要を満たすために、より多くの環境資源が必要とされ、環境破壊が進むことになる。人口の制御なくして、環境問題の解決はない。
我々は、世界を江戸化しなければならない。人口問題の解決は、全世界的な政治課題であるのだから。