ウイルスと災害の時代

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ウイルスとは何かといえば、DNAそのものである。膜に包まれたDNAがウイルスである。これがどのように発生したかというと、おそらく、もともと生き物のDNAだったものが、何かの拍子で外に飛び出して、ウイルスになったのだろう。

ウイルスは、生き物の体内にいるときには活動を行うが、体の外に出ると、結晶になって動かなくなってしまう。そのまま何年も何百年も、あるいは何万年も、環境中に存在し続けるだろう。

これは、DNAの性質そのものである。人間の体内から外に飛び出したDNAは、環境中に結晶として存在し続ける。それが再び、何かの拍子で人間の中に戻ってくる。すると、DNAの方は結晶になって固まっていたので、何も変わっていない。しかし人間の方は、世代交代を繰り返して以前とは別のものになっている。そうすると、もともと人間の一部だったDNAが、戻ってきたときには異物として排除されてしまう。それがウイルスなのではないか。

そうすると、ウイルスも広い意味での人間の一部だということになる。しかも、ウイルスには種の区別がなく、人間と犬が、同一のウイルスに感染することがありうる。

全ての生き物はDNAを持っている。それぞれの生き物でDNAの配列は異なるが、その分子構造に違いはない。したがって、DNAそのものであるウイルスは、どんな生き物の一部にもなりうる。つまりウイルスは、人間の一部であると同時に、他のあらゆる生き物の一部でありうる。このことから、ウイルスは、すべての生命に共通の基本要素であると考えることができる。

たとえば『猿の惑星』の中で、宇宙飛行士が地球に戻ってくると、地球は猿の惑星になっており、猿たちに捕らえられてしまう。ウイルスもこれと同じで、もともと人間の一部だったものが、再び戻ってきたときには異物として排除されてしまう。

あるいは、元CIAのエージェントが現CIAと戦うようなものだろう。敵は元CIAなので、CIAの手口を知り尽くしている。ゆえに最も手ごわい相手だ、という話である。ウイルスも元々人間の一部だったので、人間の体の仕組みを知り尽くしている。だから手ごわいと言える。

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今回のコロナ騒動の中で、専門家の知識を頼ろうとする人が多かったが、それは見当違いである。専門家は、すでに分かっていることについてはよく知っているが、まだ分かっていないことについては何も知らない。したがって、新しいウイルスについては何も知らないので、素人と変わりがない。

最近の人は、専門家を魔法使いか何かのように考えているようだが、専門家だって知らないものは知らない。それなのに、やたらと専門家に知識を求めようとするのは、はっきり言って気味が悪い。我々の誰もこのウイルスについて知識がないのだから、知識がない状態でどうやって判断を下せばよいのか、ということを考えるしかない。ないものを求めても無駄である。

コロナウイルスについては、あきらめるしかない。死ぬ人は死ぬだろうし、死なない人は死なないだろう。そんなことよりも、これからどういう社会を作れば、このような災害を防ぐことができるか、ということを考えねばならない。

私は既に自分の考えを述べているが、まず都市の人口密度を下げる必要がある。東京で感染が拡大するのは人が多いからで、人が少ない岩手県では感染者は出ていない。都市の人口を減らし、地方の人口を増やす政策をとる必要がある。

また2020年7月6日現在、豪雨災害とコロナウイルスの二重災害が起きつつある。これは明らかに人災である。近年の日本で異常気象が多いのは、地球規模の気候変動の結果であり、その原因は人間が排出した二酸化炭素である。人類が自由な経済活動を続けた結果がこれであり、自業自得と言わざるを得ない。

もはや自由の時代は終わった。人間の自由な活動が環境の破壊を招き、そのツケが豪雨という形で人間社会に返ってきている。コロナウイルスの蔓延も、都市の人口密集が一つの要因であり、これを避けるには移動の自由を制限するしかないと思われる。また、新型ウイルスの発生も気候変動と無関係ではないだろう。

これからは、自分の行動を自分でコントロールする、自制の時代である。自分の行為の結果に、自分で責任を持つ社会が必要である。百年続いた自由の時代の代償が、いままさに人間社会を崩壊させつつある。我々はこれを清算し、新しい時代を作らねばならない。

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