日本の政局

1

どうでもいいことかもしれないが、共産主義は、日本の力に抵抗するために生まれたものだと思われる。ロシアでは日露戦争の圧力によって、中国でも日本軍に対抗するために、共産主義が成長した。ある意味で、共産主義は日本軍の子供である。そのため、彼らは戦略的な思考に長けている。

大東亜戦争中の日本軍の行動が理解しがたいのは、将校たちが不合理だったからだ、といった議論をよく見かける。しかしそれは、歴史を研究する学者の知性が、日本軍の参謀の知性に追い付いていないだけだと思う。そのため、いまの研究者には日本軍を理解することができず、日本軍そのものが不合理な組織だったのだ、という結論に至る。それは、研究者自身の無知を、研究対象に転嫁しているに過ぎない。

日本軍の戦略性は、レーニンや毛沢東に受け継がれ、共産党の中で生き続けているのかもしれない、と私は思う。日本軍の登場は、世界史上において革命的な意義を有しているのだが、当の日本人がそれを理解していない。悲しむべきことである。

2

千島列島の全島返還を主張しているのは、日本の政党の中では共産党だけである。その主張は戦略的に正しい。北方四島だけが日本の領土で、残りの千島はロシアの領土だとする日本政府の主張は、筋が通らない。千島はもともと日本の領土だったのだから、千島全島の領有を主張しなければならない。

連合国の戦後処理の方針は、日本が戦争によって獲得した領土はすべて放棄させるが、それ以外の領土はそのまま承認する、というものだったはずだ。千島は日露戦争以前から日本の領土であり、戦争によって獲得したものではないのだから、サンフランシスコで千島の放棄を迫られたことが、そもそもおかしいのである。だから、千島の全島返還が筋であって、北方四島だけの返還という主張は、意味不明である。

共産党はその辺のことが分かっているので、正確な判断ができている。自民党はただ「領土問題の解決」と言うだけで、どのように解決するつもりなのか全く分からない。

平和な時代であれば、そのような機会主義でも上手く行くかもしれない。だが、いざ事態が流動化した時には、明確な戦略を持った政党がイニシアチブを握るのは当然である。そうなったら、日本が共産党にのっとられる可能性も皆無とは言えない。

もちろん、今の共産党には戦略的な目標が欠けているので、彼らが政権を取ったとしても、共産主義革命を実行することはできないだろう。なまじ戦略眼があるだけに、彼らには、共産革命が上手く行かないことがはっきり分かっている。そこで、新しい目標を設定できるかどうかが、共産党の行く末を左右するだろう。

3

憲法改正に関しては、九条が焦点になるはずである。個人的には、九条二項を削除すればよいのではないかと思う。九条一項では、紛争解決のための戦争を放棄しているが、これはそのままで構わない。平和のための武力行使の可能性が残されているからである。しかし二項では、すべての武力を放棄する、と言っているので、これはまずい。

世界最終戦争は平和のための戦争である。ゆえに、九条一項には抵触しない。しかし、アメリカと核ミサイルの打ち合いをするためには、二項における武力の放棄が障害となる。だから、これは削除したほうがいい。

自衛隊に関しては、あってもなくても構わないだろう。そもそも、中国もロシアもアメリカも、今では北朝鮮でさえ核ミサイルを持っているのだから、通常兵力がいくらあったところで、抑止力にすらならない。自衛隊はただの飾りである。だから、維持費だけでも無駄遣いに等しいので、自衛隊はやめるべきだ、という共産党の意見は、ここでもやはり正しい。

軍隊は国家の象徴であり、また、治安維持のために必要な面もあるため、私は、自衛隊はあったほうがいいと思う。しかし、憲法に明記する必要があるとは思えない。したがって、私の意見としては、二項の削除だけでよいと思う。

4

もしも、憲法に軍隊の存在を明記する場合、誰を指揮官とするべきか、ということを考えねばならない。

私は、政治家に軍隊の指揮権を委ねることには反対である。何を考えているか分からない人間に陸海軍の指揮権を預けるくらいなら、軍隊などないほうよい。この意味では、私は、自衛隊の即時廃止もありえると思う。指揮官とは、軍隊にとって絶対的な存在であり、彼の判断が兵士の命を左右する。選挙で選ばれたというだけでは、指揮官としてふさわしいとは言えない。

では、誰が指揮官であるべきなのか。そもそも我々は、何のために軍隊を必要とするのか。どんな戦争をするつもりなのか。いまこの世界で、軍隊が必要とされることが本当にあるのだろうか。

もしも、我々が戦争をするつもりなのであれば、どこの国と、どんな戦争をするべきなのかを考えなければならない。そして、戦争をするならば、必ず勝たねばならない。軍の指揮官は、その全てに対して責任を負わねばならない。兵隊は死んだが、何の成果もなかった、では済まない。そのような責任を、一人の政治家に、本当に負わせるべきなのか。また、その任に堪えうるのか。

軍隊の指揮官に必要な資質がどのようなものであるか、我々は本当に知っているのか。それは本当に、政治家として国民に選ばれるために必要な資質と、同一のものだと言えるのか。

軍の指揮官は、戦争に勝つために必要なことを知っていなければならない。また、どうすれば兵の命に対して責任をとることができるのかを、知っていなければならない。我々は本当に、そのような基準で政治家を選んでいるのだろうか。また、それを知っている政治家が、本当に存在するのだろうか。

私が知る限り、そのような条件を満たしうる人物は、この国にはお一方しかいらっしゃらない。

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