小論集1

VI. 仏教と表現

仏教徒は神に祈るべきか

1日本では神仏習合があたりまえだったので、仏教徒が神に祈ることもそれほど珍しくない。しかし、スリランカから来た坊さんなどには、やはり奇異に思えるらしい。まず基本的な言い訳から始めれば、日本の神様は仏教の守護神だということになっているので、仏教徒が神に祈りを捧げても問題はない。間接的に仏陀に祈りを捧げ...
仏教
VI. 仏教と表現

日本の批評

1東浩紀は日本的すぎる。彼の哲学は西洋の正統から逸脱している。彼の批評の対象からも、それは読み取れる。しかし、どうも本人はそのことに気付いていないようである。自身の思想の異常さ、西洋的な立場から見たときの異常さに無自覚であるらしい。彼はラカンや何かについてもっともらしく語るが、思考はすぐにそこからす...
思想文化
VI. 仏教と表現

仏教と表現

1仏教では、言語表現を大事にする。もちろん、言語に限らずどんな方法でもよいのだが、自分が手に入れた悟りを言葉で表現する、他者に伝えるということが非常に重視される。禅の語録などを読んでいると、速やかに言え、という言葉がよく出てくる。それは、悟りを表現してみろ、ということであり、それができて初めて悟りを...
仏教
V. 正義とは何か

キリスト教と殉教

1キリスト教は撲滅されるべきである。最も良いのは信仰を捨てさせることだが、それができない場合は、物理的に排除することも考えねばならない。私自身は魂の存在を信じない。しかし、それが存在しないという証拠はないので、ある人が魂は存在すると信じるならば、彼の意見は尊重されねばならない。したがって、キリスト教...
宗教
V. 正義とは何か

自由意志と責任

1自由意志は存在しない。少なくとも、責任や罪の重さについて考えるときには、自由意志が存在すると考えるべきではない。罪は、正しい行いを行わなかったときに生じる。義務を果たさなかったときに生じる。その原因は追究されるべきであるが、自由意志が原因として措定されるべきではない。自由意志は因果律の特異点である...
思想社会
V. 正義とは何か

冤罪について

1私は、犯罪者をとり逃すぐらいなら、多少の冤罪は構わないと思う。最近の世間は、犯罪者に優しすぎる。そういう態度は決して良い結果を生まない。悪を憎む心が足りないということは、最も恐ろしいことである。冤罪をなくすことはできないし、なくそうとするべきでもない。そうではなく、犯罪をなくさなければならない。た...
宗教社会
V. 正義とは何か

吉本隆明と誹謗正法

吉本隆明は、麻原彰晃も念仏さえ唱えれば極楽へ行ける、と言った。なぜかといえば、浄土真宗の開祖親鸞によれば、たとえ五逆の罪を犯した者でも、念仏によって極楽へ往生できるからである。ここで問題とされているのは、弥陀の誓願の第十八、念仏往生の願の後半に現れる「ただし、五逆と誹謗正法とを除く」という一文である...
仏教
V. 正義とは何か

正義とは何か

昨今の人間社会では、この世界には正義など存在しない、それは相対的なものに過ぎない、などという言説が、まことしやかに語られている。いったい正義とは何だろうか。たとえば、あなたには赤と黒の見分けがつくとしよう。赤色がどのようなものであり、黒色がどのようなものであるか、あなたは知っているとしよう。しかし世...
思想社会
IV. 日本の平和

戦争と平和

1核兵器がなくなれば、また戦争ができるようになる。話し合いよりも、戦争で解決したほうが楽なこともたくさんある。平和を実現するためには、何よりも戦争が一番の近道である。むろんそれは、基本的な道徳が共有できていれば、ということだが。キリスト教徒がいなくなれば、戦争はそれほど残酷なものにはならないだろう。...
政治
IV. 日本の平和

格差社会

1このまえ川崎で、路上でバスを待っていた小学生と保護者らが、刃物を持った男に襲われ、多数の死傷者が出るという事件があった。この事件を、弱者を狙った卑劣な犯行と考える人もいるが、それは間違っている。現代の日本社会では格差が広がっている。収入が高い人は問題ないが、収入が低く日々の生活で精いっぱいの人には...
政治社会