III. 忠と孝二つの天皇家 1私は、聖徳太子に関する日本書紀の記述に疑問を持っている。日本書紀においては、推古天皇が隋の煬帝に国書を送ったことになっている。しかし、中国側の記録では、その時の日本の大王には妻がいたとされている。つまり、大王は男だったはずである。おそらく、聖徳太子は実際には大王だった。そう考えなければ、彼の死後、... 2020.06.16III. 忠と孝小論集3中国仏教歴史
III. 忠と孝支那と中国 支那という言葉は仏典に出てくる。震旦や支那が、中国を指す言葉として使われている。つまり、インド人は、中国をシナと呼んでいたわけである。これが大航海時代にヨーロッパに伝わり、英語でチャイナ、イタリア語でチーナと呼ばれるようになった。その後、江戸時代の日本に入国しようとしたイタリア人宣教師が、幕府に捕ま... 2020.06.16III. 忠と孝小論集3中国歴史
III. 忠と孝忠と孝 1中国人にとって最も大切な徳目は、孝である。孝とは親孝行のことであり、親に仕える、親を大切にするということである。ところが日本では、孝は二番目にくる。日本人にとって一番の徳は、忠である。忠とは忠誠であり、主に仕えるということであり、主従関係のことである。これは日本独特の文化であって、そもそも中国では... 2020.06.16III. 忠と孝小論集3中国歴史環境問題
I. 反知性主義万里の長城 現在の中国は南北朝時代である。清朝から禅定を受けた、中華の正統王朝たる中華民国は南方の台湾に依り、簒奪者たる北朝の中国共産党と対立している。このような状況で、日本政府がとるべき立場はいかなるものか。我々はどちらの王朝に協力するべきか。 アジアの安定のために我々が心掛けるべきことは、漢民族の境界を定め... 2020.06.14I. 反知性主義小論集3中国政治
VII. 芸術と模倣夫婦別姓 1 日本は今でも夫婦同姓だが、夫婦別姓を認めるべきではないか、という意見が多く聞かれるようになった。 そもそも名字とは何かといえば、おそらくこれは家の名前だろう。個人の名前とは別に、親から受け継がれるものなのだから、家の名前と言ってよいと思う。そうすると、妻の名字が変わるかどうかということは、妻がど... 2020.06.08VII. 芸術と模倣小論集2ジェンダー中国文化
V. 倭国と隋の外交政策大清国について 大清国は伝統的な中国王朝の一つに過ぎなかった、というのは、中華主義を宣伝しようとする中国人の屁理屈である。 たしかに、清代の中国でも科挙は行われていた。しかし、それによって役人に採用された漢人が関与できたのは、中国の政治だけであった。彼らは、大清国全体の政治に与れたわけではない。つまり、清国そのもの... 2020.05.09V. 倭国と隋の外交政策小論集2中国歴史
V. 倭国と隋の外交政策倭国と隋の外交政策 1 聖徳太子が隋の皇帝に送った国書に関しては、様々な議論があるようである。しかし、この問題は、中国と日本の二国だけの問題ではない。この時期の東アジア全域の国際関係に、目を向ける必要がある。 南北朝から隋の時代にかけて、東南アジアを含むアジア諸国の間で、仏教的な形式をとった外交関係が顕著に見られる。つ... 2020.05.09V. 倭国と隋の外交政策小論集2中国仏教歴史
VII. 遊牧民の世界史最近の中国について 1以前、上野の博物館で故宮博物院展というのをやっていて、見に行ったことがある。かなりすごかった。国宝級の文物が惜しげもなく公開されていて、圧倒された覚えがある。あれは中国そのものだった。故宮博物院が台湾にある意味は大きい。あれがある限り、台北は中国の首都だと言ってよいと思う。共産党が台湾にこだわる気... 2020.04.06VII. 遊牧民の世界史小論集1中国
VII. 遊牧民の世界史遊牧民の世界史 1遊牧民の世界と中原とは、おそらく不可分のものである。古来、遊牧民の活動が中国の農耕民に影響を与え、また逆にその影響を受けてきた。遊牧民といっても、彼らだけで自足できるわけではない。羊を引き連れて生活するために、タンパク質が不足することはないが、穀物は農耕民から手に入れるしかない。そのため、彼らは常... 2020.04.06VII. 遊牧民の世界史小論集1中国歴史
III. 北京語と漢文北京語と漢文 1最近の研究によれば、中国人の話し言葉は、南北朝から隋・唐の時期にかけて、大きく変化したらしい。そのころに、北方の遊牧民が中華の平原地帯に大量に流入し、中国語の発音が全く変わってしまったらしいのである。一方で、漢字そのものは変化していない。漢字の文章の使い方は、話し言葉の変化にほとんど影響されなかっ... 2020.03.21III. 北京語と漢文小論集1中国文化歴史