若者は選挙に行くべきか

衆議院選挙が近づいてきたので、TVでは選挙の話が増えた。とくに若者の投票率の低さを嘆く声が多い。

識者が言うには、若者が投票に行かなければ、彼らの意志は政治に反映されず、高齢者重視の政策が続けられることになる。だから、自分の利益を守るために若者も投票に行くべきだ、と。それに対して若者の側は、どうせ選挙に行っても何も変わらない、と言う。

総務省によれば、20歳から24歳までの世代別人口は約600万人、70歳から74歳までは約960万人とされており、1.5倍の開きがある。つまり、若者世代は数において高齢世代に負けているので、選挙に行っても無駄だ、という若者の意見はある程度正しい。

民主主義のもとでは、社会の中に複数の人間集団が存在する場合、より構成員の多い集団の意見が政治に反映されやすくなる。ゆえに、それらの集団が利益を共有できないならば、政治が公平性を失う可能性がある。民主主義は一見、公平な政治制度に思えるが、実際には不公平な制度である。

他の政治制度と比較すると、民主主義の特徴がよく分かる。たとえば君主制の場合、君主が自分の利益だけを考えるならば、政治は公平性を失うだろう。一方で、君主が国民のために政治を行うならば、公平な政治が期待できる。つまり、政治の公平性はひとえに君主の意志による。

しかし民主制の場合は、政治家の意志によらずに、制度によって不公平性が実現されるので、これを避ける手段はない。政治家がどれだけ公平な政治を目指しても、国民の意志によってそれが否定されてしまうのである。

もちろん、民主主義によって公平な政治が実現される可能性はある。それは、国民全体が均一な人間集団だと考えられる場合である。たとえば、高度経済成長期の日本は一億総中流と言われ、国民全体が同じ文化、同じ生き方を共有していると信じられた。このような場合には、民主主義によって公平な政治が実現される可能性が高まる。国民全体が一個の家族のようになったとき、利害の衝突は問題にならず、不利益を互いに補い合うことができるからである。

しかし多様化が進む現代においては、国民の均質性という幻想は維持できない。社会を構成する複数の人間集団の間で利益の相反が起き、かつ、それを解消する社会的な関係が存在しないならば、民主主義は公平性を破壊し、格差を拡大させるシステムとなるだろう。

我々の社会には、もはや民主制はふさわしくない。ゆえに、若者は選挙に行くべきではない。若者の投票率が0になれば、民主政治は正当性を失い、この国は自壊するだろう。その後で新しい社会を作ったほうが、若者にとってはいいのかもしれない。

多様な民族によって構成される国家、たとえば中国やロシアが民主主義を志向しないのは、上記の理由による。民主制になると人口比が大きい民族が有利になるので、むしろ君主制のほうが公平性が期待できるのである。

アメリカも多民族国家だが、アメリカ人は民主制以外の政治を経験したことがないので、それに不満を持つことがない。彼らが一度でも君主制を経験すれば、二度と民主制には戻れなくなるだろう。

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