新型ウイルス再考

先日、日本でもマスク着用ルールが緩和され、ようやくパンデミックが終わったと認識されるようになった。世間ではこれもワクチンのお陰だと言われているが、ワクチンとパンデミックの終息は全く関係ない。

パンデミックが終息したのはウイルス自体が弱毒化したからであって、ワクチンやソーシャル・ディスタンスのせいではない。これらの対策には、犠牲者を減らす効果はあったかもしれないが、パンデミックの終息とは基本的に関係がなく、むしろパンデミックの期間を長引かせる効果しかなかった。

これは以前にも書いたことだが、いい機会なので、改めて説明したい。

仮に、今回のパンデミックを終息させる方法がウイルスの弱毒化以外になかったのだとすれば、弱毒化のスピードがパンデミックの期間を決定することになる。より速やかに弱毒化が進めば、パンデミックは短期間で終息するし、より緩やかに弱毒化が進めば、パンデミックは長期間続くことになる。

ここで、ウイルスの弱毒化を進めるために必要なものは何かといえば、淘汰である。より毒性の強い変異株を滅ぼし、より毒性の弱い変異株を生き残らせることで、ウイルスの弱毒化は進む。したがって、ウイルスを弱毒化させるためには、人間が死ななければならない。宿主である人間が死ねば、その中にいるウイルスも死ぬからである。そして、宿主を死に至らしめるウイルスは、毒性の強い変異株である可能性が高い。ゆえに、重症の患者が死ぬことで、毒性の強い変異株が淘汰され、ウイルスの弱毒化が進むことになる。実際、こうしてパンデミックは終息したのである。

ここで、もしも重症の患者が死ぬことを妨げるならば、毒性の強い変異株が生き残り、ウイルスが強毒化する可能性が高くなる。そして、ウイルスが強毒化すれば、パンデミックは長引くことになる。

ところで、ワクチンやソーシャル・ディスタンスといった対策には、医療機関の負担を軽減させ、感染者の生存率を高める効果がある。したがって、これらの対策には、ウイルスの弱毒化を妨げ、パンデミックをより長引かせる効果があったと言える。

長い目で見れば、ワクチンやソーシャル・ディスタンスによって、犠牲者が増えた可能性すらある。つまり、これらの対策がパンデミックを長期化させることで、対策を行わなかったときよりも、感染者数が増えていた可能性がある。

もちろん、あくまでも可能性であって、実際にどうなったかは分からない。ただ、先進国で強毒化したウイルスが、インド等の発展途上国に持ち込まれ、非常に多くの犠牲者を出したことを考えると、その可能性もゼロではない。もしも先進国で医療崩壊が起き、その結果重症の患者が次々と死に、それによってウイルスの弱毒化が進んでいれば、その後、弱毒化したウイルスが発展途上国に持ち込まれても、それほど多くの被害は出なかったかもしれない。

生と死は不可分である。目の前の命を見捨てることで、より多くの命を救える場合もある。

ゲノム編集

mRNAワクチンの成功は見事だが、技術的には伸びしろがない。mRNAは非常に分子量が大きいので、熱揺らぎで簡単に破壊されてしまう。したがって、保管には極低温が不可欠であり、この点の改良は期待できない。製薬会社にとっては金のなる木だが、コスト面、環境負荷の面で課題が残る。

RNAといえば、2020年には「crispr-cas9」がノーベル賞を受賞し、早くも発見者の伝記が出版されている。ゲノム編集技術は来るところまで来た感がある。

私としては、生物学が次の段階に進むことを期待しているのだが、それはまだ遠いようである。いまはゲノム編集による生物学の勝利に熱狂している人が多い。

遺伝子を理解しただけでは、生物を理解したことにはならない。細胞にプログラムは存在せず、遺伝子は環境との相互作用によって発現する。イモリの足が切断されたとき、その刺激に対応してiPS遺伝子が活性化し、足が復元される。これは外界からの刺激によって遺伝子が発現する例であり、こうした相互作用こそ生命の本質である。

哺乳類以外の生物を含めれば、STAPは自然界にありふれた現象であり、このような刺激と遺伝子の対応関係を探る分野こそ、次世代の生物学の主流になるだろう。ゲノムの時代はもう終わったと思っていたが、このばか騒ぎはいつまで続くのだろう。

タイトルとURLをコピーしました