日中戦争ノート2(ハードボイルド編)

満洲国においてアヘンが栽培されていたことはよく知られている。それが関東軍の資金源になっていたという。

どれほどの規模で栽培が行われていたかは知らないが、注意すべき点は、アヘンは商品作物だということである。商品作物を販売するためには、まず市場を開拓しなければならない。アヘンの味を多くの人に知ってもらい、その良さを理解してもらうことで、アヘンの買い手が増え、利益が出るようになる。

満洲国のアヘンの場合は、この市場開拓という作業が必要なかった。なぜならば、満洲国内やその周辺には、すでに成熟したアヘン市場が存在していたからである。それは日本人が作ったものではなく、イギリス人が作ったものだった。イギリス人が100年かけて育て上げた巨大なアヘン市場が、中国大陸の隅々にまで張り巡らされていた。

日本人はそのシマを横取りし、労せずに莫大な利益を上げた。当然イギリス人は怒り心頭である。中国のアヘン市場に手を出すならば、イギリスに話を通すのが筋である。日本人はその掟を破り、実力によってイギリスのシマを奪い取った。そのため国際連盟は、仁義を通さない日本に対して破門を言い渡した。それがリットン報告書である。こうして世界を二分する抗争が始まったのであるが、その発端は麻薬のシマの奪い合いであった。

誰が一番悪いかといえば、イギリス人である。彼らが麻薬に手を出した時点で、身の破滅は決まっていた。違いがあるとすれば、どれだけ多くの人間が巻き込まれるか、という程度にすぎない。そして、イギリス人は世界全体を巻き込んでしまったのである。

太平洋戦争は、日本軍がアメリカ軍を攻撃することによって始まった。これを不思議に思う人もいるが、日英の抗争がのっぴきならない地点にまで来ていたことを考えれば、納得できることである。

イギリス人は、中国の麻薬市場を奪われたことで頭に血がのぼっていた。この暴挙を許すつもりはなく、徹底的に日本を潰さねば気が済まなかった。それに便乗したのがアメリカである。イギリスの伯父貴に助太刀して恩を売れば、麻薬の取引に参加させてもらえるかもしれない。アメリカは麻薬のもたらす利益に目がくらんでいた。そのために、日本をだしにして自分の立場を向上させようとしたのだ。

だが、そうは問屋が卸さない。日本は連盟きっての武闘派であり、こと海戦において日本軍の右に出る者はいないと評されていた。一方のアメリカは一匹狼を気取っていたものの、戦争にはあまり自信がなかった。しかし、イギリスに認められるチャンスということで、勇を鼓して日本との決戦に臨んだのである。

当然ながら日本政府はこうした事情を知悉していた。日本がイギリスと戦争を始めるならば、アメリカも一枚噛んでくる。日英の単独開戦は不可能である。それならば、まずアメリカに一撃を加えねばならない。背後の安全を確保するために、先にアメリカ軍を潰しておく必要があったのだ。それが真珠湾攻撃である。

攻撃は無事成功し、イギリスを中心とした麻薬カルテルは完全に崩壊した。だが、大英帝国の断末魔は全世界を破滅の淵に追いやった。真珠湾において自らも傷つき、また、信頼する伯父貴がコテンパンに打ちのめされる様を目の当たりにしたアメリカは、正気を失って焼夷弾や原子爆弾による大量殺戮に手を出した。

はた迷惑な話である。どれだけ日本人を殺しても、かつての秩序は戻ってこない。アングロサクソンの黄金時代はもう過ぎ去ったのだ。

そもそも、なぜ日本は国際連盟に喧嘩を売ったのか。じつは、日本人には密かに期するところがあった。彼らはいやおうなく極道の世界に巻き込まれてしまったが、いつの日か、この不道徳な世界秩序をひっくり返してやりたいと考えていたのだ。その本懐はみごとに遂げられたが、日本もまた深手を負った。彼らがそれまでにしてきたことを考えれば、仕方のないことではある。

焼け野原となった国土を見て、無知な大衆は日本軍を糾弾したが、指導者たちはその結果に満足していた。これ以外の答えはなかったのだ、と。

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