日本画における輪郭線

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日本画の特徴は、輪郭線を描くことだと言われている。たとえば浮世絵のくっきりした輪郭線は、西洋の芸術に大きな影響を与えた。また鳥獣戯画に描かれた蛙や兎は、ほとんど輪郭線だけで描かれているが、非常に生き生きとして躍動感がある。

一方、西洋の絵画には輪郭線がない。なぜならば、静物画に象徴されるように、西洋画は静止したものを描こうとするからである。そもそも三次元の物体には輪郭線は存在しない。ゆえに、対象を三次元的に捉えようとするかぎり、輪郭を強調する必要はないと言える。

輪郭線がもっとも明瞭に認識されるのは、ものが動くときである。たとえば、あなたの手を、目の前で左右に動かしてみてほしい。そのときあなたが認識するのは、手の輪郭線の動きである。人間の眼には、ものの動きは、輪郭線の動きとして認識される。ゆえに、ものが動くさまを表現しようとする場合、輪郭線を強調することが最も有効な手法であると言える。

日本画における輪郭線は、ものを表現するためではなく、ものの運動を表現するためにある。だから輪郭線のみで表現された蛙は、生き生きと動いているように見えるのである。

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ものの動きを認識するということは、人間にとって最も基本的な能力であると考えられる。

たとえば、一台の車が、あなたに向かって進んでくるところを想像してみてほしい。あなたは危ないと思って、それを避けようとするだろう。そのとき、車がこちらに向かってくるという認識は、その車の形や色の認識よりも先にあるはずである。あなたはまず、車が近づいてくることを認識し、その後で、その車の車種や大きさを確認することになるだろう。

そのように、ものが動いているという認識、それがどこへ向かってどのように動いているかという認識は、人間にとって一番最初にくるものである。たとえば蛙は、動いているものしか認識できないと言われている。というのも、動物にとって大事なのは、ものの形態の情報ではなく、その動き方の情報だからである。それを認識できるかどうかが生死を左右する。人間にとってもそれは同様である。

日本画は、そのような人間にとって最も原始的な認識を、そのまま絵画として表現しようとする。だからこそ躍動感があり、生命の充実感にあふれている。それは人間の生に最も肉薄した芸術だと言える。

それと比べると、西洋の芸術はあまりにも抽象的で無粋である。人間の生を遠く離れたところから、対象を客観的に眺めようとしている。それは作為的で欺瞞に満ちた表現である。

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さて、このような日本人の美意識は、日本語の構造にも反映されている。日本語には主語がない、とよく言われるが、主語がないということは、動詞しかないということである。

つまり日本人は、主語よりも先に動詞を認識し、動詞を主体として文章を考えているのである。ものが動くのではなく、動きの中から輪郭線を持つものが現れてくる。それが日本人の認識であり、美意識である。

これはまたアニメーションの問題にもつながってくる。少し分かりにくいかもしれないが、日本のアニメーションは、運動を先に描き、物体を後から描く。

たとえばCGアニメーションでは、3Dのモデルを先に作り、その後で運動を描く。これはアメリカで発達した手法なので、ここには西洋の美意識が反映されている。つまり、物体が先で、運動は後である。

しかしこれは、日本人の美意識とは正反対のやり方である。日本人の作るアニメは、運動が先で、物体は後からくる。運動の中から主体が現れてくるという感じがする。すべての現代文化の中で、アニメーションこそが日本の美意識を正統に継承していると言えるだろう。

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