世界政府の経済政策

世界政府の経済政策は、食料を基調としたものでなければならない。人間が生きるために必要なものは食料なのだから、これを経済力の基準とするべきである。

食料の分配は問題ではない。そうではなく、食料と人口の均衡を考えるべきである。また、食料の貿易をどのように考えるかということが、一つの課題になるだろう。貿易を禁じるべきかというと、それはやりすぎかもしれない。しかし貨幣によって食料を輸入するということを、どこまで許容すべきかということは、考えなければならない。

貨幣の価値を食料よりも高くさせてはならない。貨幣によって食料を購入できるならば、貨幣のほうが優位に立ってしまう。では食料を分配制にすべきかというと、それは違う。それだと、食料を手に入れるために働くという動機がなくなってしまう。

分配は間違いである。だが、市場の原理も間違いである。なぜならば、それは貨幣に基づいているからである。では、食料をどのように流通させるべきだろうか。


農業を基盤とした経済体制を作ることは重要である。しかしそれは、農産物を貨幣に換算して、その価値を量るものであってはいけない。それは土壌の搾取を生むだろう。

人が生きるための農業でなければならない。だが、食料を貨幣で購入できるのであれば、農業と生存との間に直接のつながりがなくなってしまう。

考えられる対策は、食料品の貿易に厳しい制限を設けること、あるいは職業選択の自由を奪うことだろう。人が農作業から解放され、工業製品の生産に従事することで、人類の経済規模は拡大した。それによって貨幣の価値が増大し、食料品の相対的な価値が低下した。食料は人間の命ではなく、商取引の対象へと成り下がってしまった。

貨幣によって食料を買うことが、食料の重要性を低下させた。ゆえに、食料によって商品を買うことができるようにすれば、食料の価値を高めることができるのではないか。どうすれば食料を通貨とすることができるだろうか。

紙幣や金属硬貨であれば、劣化することはない。しかし食料は劣化するものだから、これを貨幣として用いることは不便かもしれない。それを政治によって強制することは、どのような結果をもたらすだろうか。


世界政府の経済政策は、地域政府のそれとは一線を画するものになるだろう。我々は自国を富ませるのではなく、世界を富ませることを考えなければならない。そのためにまず必要なものは食料である。人類全体が生きてゆけるような経済体制を構築しなければならない。

世界政府のもとでは、各地域の経済力は、江戸時代のように石高で示されるようになるだろう。国の経済力は食料生産力によって量られる。そうするとやはり、アメリカの大国としての地位は揺るがないことになる。

また、税制も食料を基本とする。つまり、世界政府への税は食料で納めるということである。世界各地に食料税を納める倉庫を作り、そのうち一部は政府中枢へ送られ、一部は倉庫にとどめ置かれて、いざという時に「お救い米」として放出される。食料の備蓄が常にあるということが、人心の安定に貢献するだろう。

人は米によって生きる。これが世界政府の政治理念である。

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