大東亜戦争史(3)

秀吉の唐入り

文禄・慶長の役の話を聞くと、どうも不思議な感じがする。まず驚くことは日本軍の強さだが、それよりも終わり方が変だと感じる。そして、いったい何のための戦争だったのか、ということが一番の疑問として残る。

秀吉が目指したのはアジアの統一であり、平和の樹立であることに疑いはない。しかしそれが意味することは、現在我々が考えるような侵略行為とは異なるはずである。

そもそも、日本人は帰巣本能が強い。たとえばエルサレムを占領した十字軍は、その土地に住み着いて王国を作った。モンゴル人は世界各地を占領しつつ、自らその土地に根を下ろした。しかし朝鮮に出兵した戦国武将たちには、そのまま朝鮮に住み続ける意志はなかったように思われる。

ふつう戦争は住処の移動を伴うものだが、日本人の場合は、家に帰るまでが戦争だという感覚がある。だから侵略戦争には向いていない。もしも朝鮮に出兵した武将たちが、子々孫々まで朝鮮で暮らす意志を持っていたならば、戦役の結果は違っていただろうと思う。

だが、それははじめから分かっていたことではないのか。秀吉は、配下の武将たちが喜んで朝鮮に住み着くはずだと、本気で考えていたのだろうか。そうではなく、彼らもいずれ日本に帰ってくるはずだと考えていたのではないか。そうすると、唐入りの意味するところは何か。

それは、中国を占領し、日本の領土とすることではありえない。なぜならば、日本人が中国に住み着くはずがないからである。そうではなく、それは秩序の確立を意味していたと考えられる。秀吉が想定していた天下は、徳川氏が実現した天下よりも広く、東アジア一帯を包み込むものであった。

昔から日本は海を通じて大陸と密接な関係を保っており、天下太平を実現するためには、日本だけでなく、周辺地域の平和をも同時に実現せねばならなかった。たとえば倭寇の活動は、東アジアに統一的な秩序が存在しないことが一つの原因だったと考えられる。秀吉の唐入りは、倭寇の原因を根本から取り除こうとするものだった。それは日本海と東シナ海を取り囲む、広大な天下の出現を意味していた。

したがって、秀吉には対外戦争という意識はなかったと思われる。むしろそれは、天下の範囲を確定するための戦争だったはずである。秀吉の秩序がどこまで及びうるのか、という力試しの意味もあったのではないか。そのときの彼の力がどこまで及びうるかということは、事前に分かっているわけではない。それを知るためには、実際に力を行使してみるしかない。それが届く範囲までの秩序を実現すれば、それが最適解となるはずである。そのような秩序確定の手段として、唐入りを考えることもできる。

武力は秩序を実現するためにある。それによって可能な最大範囲の天下を実現したときに、利益は最も大きくなる。平和な領域が拡大すればするだけ、交易は盛んになり、富は増える。できるだけ大きな天下を実現することが、民衆の利益につながるはずである。

アメリカの歴史

アメリカには歴史がないと言われる。どういう意味かというと、後から好きに歴史を変えることができる、ということである。

アメリカでは大統領の権限が非常に強いので、大統領の胸三寸で国の方針が決まってしまう。ゆえに、大統領が口に出さなかったことについては、評価を定めることができない。たとえば米墨戦争のとき、ポーク大統領は、戦争が始まる前からメキシコを侵略する意図を持っていたのだろうか。

我々はこの問いに答えることができない。なぜならば、彼は自分の本心を明らかにしていないからである。もちろんこれはおかしな言い方で、彼の本心がメキシコの侵略にあったことは明らかなのだが、それを言葉に表さないために、他の解釈も成り立ってしまうのである。

太平洋戦争についても同じで、アメリカが日本の侵略を意図していたことは明らかである。しかし、ルーズベルト大統領はそれを公にしなかったので、それ以外の解釈も可能になっている。

真珠湾の失敗の原因は、大統領が一人ですべてを決めてしまったことである。もしも彼が軍人に計画を明かしていたならば、彼らはそれに反対したはずである。なぜならば、その計画は危険すぎたからである。日本を挑発し、彼らが暴発した後に、太平洋艦隊が総攻撃を仕掛ける。そのときまで、真珠湾に集められた艦隊は、敵に対して無防備な姿を晒し続けることになる。

軍人ならばその危険性が分かる。しかし彼らには、アメリカ政府の意思決定に参加する資格はなかった。そして大統領も、自分の計画を他人に漏らすことはできない。なぜならば、アメリカは平和国家であり、自分から戦争の計画を立ててはいけないからである。それは大統領の胸の中に隠しておかねばならない。決して国民に知らせてはいけないのである。

大統領はすべてを一人で決める必要がある。それがアメリカのルールである。そのルールは、あとから歴史を書き換えるためのものである。大事なことはすべて、大統領が抱え込み、墓の中まで持って行ってしまう。そのために、アメリカの歴史はあらゆる解釈に開かれている。歴史を確定するために必要な情報が欠けているからである。

アメリカには歴史がない。歴史がない国家を、国民と大統領が協力して作り上げている。日本には本音と建前があるが、アメリカには建前しかない。

私が恐れているのは、いまや日本もそうなりつつあるのではないか、ということである。誰も本音を言わず、建前だけの社会になってはいないか。

インディアンと人種差別

また、アメリカが掲げる「多民族が共存する国家」という理想は、そのまま差別の問題とつながっている。というのも、異なる民族が同じ地域で生活していれば、摩擦が生じるのは当然だからである。多文化の共存を進めることが、異なる文化間の衝突を増やし、差別の原因を作っていることは事実である。

では、どうしてアメリカは多様性を是とするようになったのか、その原因を歴史の中に探ってみよう。そもそも、北米大陸はインディアンの土地であった。そこにヨーロッパから白人が移住するようになり、植民地が作られた。入植者はやがて先住民であるインディアンと揉め事を起こすようになったが、まず契約によって彼らの土地を奪い、彼らが抗議すると武力によってこれを鎮圧した。

それを繰り返す中で、いつしか入植者の心に次のような信念が生まれていた。人間には移動の自由があり、住む土地を選ぶ自由がある。ゆえに、我々が北米大陸に住むのは自然の権利であり、これを妨害しようとするインディアンのほうが悪者である。アメリカは様々な人種を受け入れる自由な土地なのだから、白人を排除しようとするインディアンのほうが間違っているのだ、と。

このようにして、人種的多様性が善、異なる民族を排除することが悪、と決まってしまうと、彼らはこの規定にがんじがらめになってしまった。アメリカが民族の多様性を尊重し続ける限り、差別の問題はなくならない。だが、それをやめるためには、彼らは過去の行いを反省しなければならない。彼らがインディアンに対して行ったことを、誤りだったと認めることがなければ、多様性を善とする態度を変えることはできない。そうすると、人種差別の問題も終わらないことになる。

いまアメリカに必要なことは、諸悪の根源たる合衆国憲法を捨てることである。それができなければ、アメリカに未来はないだろう。

大東亜戦争は反差別の運動である。ゆえに、その終局はアメリカの否定でなければならない。アメリカこそが人種差別の震源地である。

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