プルトニウムの使い道

原子力技術の将来

現在、プルトニウムには二つの道しかない。爆弾にするか、捨てるかである。しかしながら、苦労して作ったプルトニウムをただで捨てるわけにはゆかない。ゆえに、爆弾にして役に立てたほうがよい、ということになる。核兵器の廃絶が進まないのは、このような「もったいない」精神が働くからである。

したがって、核兵器の廃絶を進めるためには、第三の道を見つける必要がある。それは、プルトニウムから安全にエネルギーを取り出す道である。プルトニウムを使って発電を行い、社会に役立てることができれば、核兵器の解体が進むだろう。兵器の中に死蔵させておくよりは、取り出して金儲けに使ったほうがよい、ということになる。そうした社会を実現させるためにも、原子力技術の発展は絶対に必要である。

だが、現行の原子炉に不安を持つ人は多いし、それは当然である。したがって、我々は安全性に考慮した新しい原子炉を開発する必要がある。それは事故が起きない原子炉ではなく、事故が起きても安全な原子炉である。

原発事故において最も危険な事態はメルトダウンである。ゆえに、これを防ぐ方法を考えなければならない。答えは簡単で、核燃料を外に出せばよい。メルトダウンが起きるのは、狭い空間に核燃料を閉じ込めているからである。したがって、これを外に出してしまえばメルトダウンは起きない。つまり、事故が起きたときに、速やかに燃料を放出できるような原子炉を設計する必要がある。おそらく出力はいまより落ちるだろうが、安全性は増すはずである。

核燃料はドラゴンボールと似ている。ドラゴンボールの場合、七つの玉を一か所に集めると神龍が出てくる。一つでも他の場所にあれば、神龍は出てこない。核燃料も同様で、臨界を超えるかどうかは密度によって決まる。ゆえに、密度を減らせば臨界は起きない。つまり、ばらしておけば安全ということである。

デブリについても同じことが言える。たとえば、工事現場で大きな岩が出てきたら、ダイナマイトで爆破し、小さな破片に砕く。それを一つずつ処理すれば効率がよい。デブリも同様で、それが危険なのは大量の放射性物質が一か所に集まっているからである。ゆえに、これをダイナマイトで爆破すれば、放射線量は小さくなり、処理が簡単になる。

たとえばいま、10m四方の空間にデブリが閉じ込められているとしよう。これを1km四方の空間に拡散させることができれば、放射線量は1万分の1になる。これで作業は容易になるはずである。

プルトニウムは資源

プルトニウムは貴重な資源である。地球上に存在する資源の量は限られており、一つたりとも無駄にしてはいけない。地球が我々に与えてくれた資源は、最後の一滴まで使い切らねばならない。

プルトニウムは人類にとって必要ないものだから捨てればよい、と考える人間が、いままで地球環境を破壊してきたのである。地球が我々に与えてくれるものは、どんなものでも有効に活用しなければならない。その方法が分からなければ、見つかるまで研究を続ければよい。それをあきらめるならば、我々には地球で生きる資格はない。

ウランは搾りかすにすぎない。プルトニウムこそが原子力の精髄である。そこには膨大なエネルギーが凝縮されており、そのまま捨てるなど愚の骨頂である。たとえば、ウランが鱈の肉だとするならば、プルトニウムは白子である。白子を捨てる馬鹿はいない。

だんだん腹が立ってきたので、もう少し続ける。世間ではクリーンエネルギーと言って、化石燃料によらない動力が注目されており、たとえば、ガソリン車を電気自動車に置き換える話がある。だが、車を走らせるためには電気を貯めておかねばならない。それには電池が必要である。そして電池を作るためには、環境を破壊する必要がある。

電池とは水溶液に金属の電極を浸したものであり、原料として金属が必要となる。リチウムイオン電池の場合、リチウムを採掘するためにウユニ塩湖が削られている。そして、足尾銅山鉱毒事件からも分かるように、金属の採掘には環境破壊がつきものである。ゆえに、電気自動車用の電池を生産するために、大規模な環境破壊が引き起こされると考えられる。

結局のところ、クリーンエネルギーも環境破壊を避けられない。SDGsの連中はそこまで考えているのだろうか。

環境破壊を避ける一番の方法は、すべての資源を擦り減ってなくなるまで使い続けることである。同時に、消費社会を見直すことも必要である。もっと言えば、貨幣中心の経済を改める必要がある。

我々は、貨幣ではなく食料を中心にした経済を作らねばならない。そのためには、貨幣ではなく食料を税として徴収する新しい政府が必要となる。それが世界政府である。

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