教育論

教育の問題について書く。結論から言うと、一番の問題は親が口を出しすぎることである。

ブラック校則

たとえば、ブラック校則の問題がある。世の中には理不尽なほど厳しい校則があり、それで生徒が困っているという。どうしてそうなるかというと、親が望むからだろう。

親としては、できるだけ安全な学校に我が子を通わせたいと思う。そのため、校則が厳しい学校を好ましく感じる。学校としても生徒を集めるために校則を厳しくせざるをえず、それが行き過ぎた結果、ブラック校則ができてしまうのではないか。

ここで、親が明示的に子供の進学先を選んでいると仮定する必要はない。子供に対する親の影響力は非常に大きいので、学校名を挙げたときの親の反応を見ただけで、子供が勝手に親の希望を推し量ってしまうこともある。

先生も生徒も厳しい校則を望んでいるわけではない。それは親の望みである。

教師の不祥事

次に、教師の不祥事が多い。性犯罪に類するものや、書類の取り扱いに関するものなど、ニュースを見ていると心配になる。

教師が生徒に手を出してしまうのは、責任感の欠如である。彼らには、自分が子供の人生に影響を与えているという実感がないので、無責任な行動をとってしまう。これもある程度は親が原因である。親が子供の進路に口を出しすぎるせいで、先生が何を言っても子供の人生を変えられなくなる。そうすると、先生もやる気がなくなってしまい、無責任になる。

どうも最近は、親による子供の私物化が進んでいるように思う。本当は、子供は親のものではなく、公共の財産である。だがいまの親は、自分が子供の人生を決めねばならない、あるいは、決める権利がある、と思い込んでいる。子供の人生は最終的には子供のものだが、それと同時に国の宝であり社会の財である。

親が子供に影響を与えようと思えば、無限に大きな影響を与えることができる。それを抑えることが親の責任であるが、その道理を弁えない愚かな親が多い。

いじめ

次に、これが最も深刻だが、いじめの問題がある。

子供は、いじめが悪いことであると知らない。だからいじめをしてしまう。それが悪いことだと教えることが教育である。したがって、現在の学校にいじめを解決する能力がないということは、学校教育が全く機能していないことを意味する。

この機能不全の原因も親にある。親は子供をかばうものである。誰も自分の子供をよその子供と同じように扱うことはできない。理想的には、自分の子供がいじめをしていたら、親は厳しく𠮟りつけねばならない。しかし実際は、それができる者は稀である。いじめをする我が子をかばおうとするのが親の心情である。

そのような人間が学校教育に口を出せば、いじめの問題は解決不可能になる。すべての子供を公平に扱うことができるのは先生だけである。いじめの問題を扱うときに何よりも重要なのは公平さであるから、これに関しては、先生に処分を一任しなければならない。決して親が口を出してはならない。

子供の教育に関して、親にできることは何もない。むしろ、何もしないことが最上の教育だと言える。教育は先生に任せればよい。もちろん、その任に耐えうるだけの学校が必要である。


日本の学校制度の中で、最も優れていたのは戦前の軍学校であろう。陸軍幼年学校では、生徒一人に対して教職員が二人もいたといい、現代の学校ではありえないほどに手厚い教育がなされていた。そのため、戦前の日本で一番のエリートは軍の学校を出た人々で、帝国大学出身者は二流とみなされていた。教育の価値を本当に理解していたのは軍人だったと言える。

おそらく、教育の起源は軍隊にある。「学」という文字は、若者が集まって教育を受ける場所を意味している。この文字はもともと戦争と関係があり、軍事教練を受ける場所を「学」と呼んだのだという。学校には軍隊のような厳しさが必要なのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました