武士道とは何か

文明的な日本

明治政府ができてから、日本は戦争ばかりやっていた。日清、日露に始まり太平洋戦争に至るまで、戦争が止むことはなかった。戦後は平和になったようにも見えるが、朝鮮戦争に際しては米軍に協力し、ベトナム戦争のときは沖縄から爆撃機が飛んでいた。最近では、イラク戦争への自衛隊の派遣が記憶に新しい。

日本は平和ではない。いつから平和でなくなったのかといえば、明治維新からである。260年続いた徳川の平和な治世が終わるとともに、戦乱の時代の幕が上がった。もしも、戦争よりも平和のほうが文明的であるならば、日本は江戸時代のほうが文明的であったと言える。明治が始まってから、日本人は野蛮化していった。

我々は進歩しなければならない。平和な社会を実現できるように、文明化しなければならない。その文明は、すでに江戸時代の中にあった。なぜ、徳川の日本は平和だったのだろうか。

日本人と刀

その理由は、武士の強権によって民衆が押さえつけられていたからだ、と言う人がいる。

だが、それは正しくない。おそらく彼は、刀狩りの意味を誤って理解しているのだろう。江戸時代の農民は、決して武装解除された無力な存在ではなかった。二本差しこそ武士にしか許されていなかったものの、脇差なら百姓も帯刀できたし、そもそも武器を豊富に持っていたのである。

江戸時代を通して最大の反乱といえる天草・島原の乱を鎮圧したのち、幕府は領民から武器を取り上げた。武器がなければ反乱を起こす心配もないからである。しかし、新しく天草の領主となった大名のもとに、百姓たちが嘆願にやって来た。武器を返してくれ、という訴えであった。これを聞いて、領主はあっさり武器を返してしまったという(藤木久志『刀狩り 武器を封印した民衆』)。

このエピソードから分かることは二つある。一つは、もともと百姓は大量の武器を所有していたということ。もう一つは、百姓が武器を持つのは当然だと、為政者が考えていたことである。

当時の農民はみな刀を持っていたが、あえてそれを使うことはなかった。一揆のときも武器は持ち出さず、農具をもって抗議を行った。武器を持ち出すと戦争になることが分かっているから、平和を維持するために、自らの意志で武器を封印したのである。その自制心が江戸時代の長い平和を実現した。

つまり、平和の根底にあったのは武士道である。その精神を国民全体が共有していたからこそ、平和を維持することができた。では、武士道とは何か。

よく、刀は武士の魂と言われるが、そうではない。刀はすべての日本人の魂だった。戦乱の時代、自分の身を守るためには刀が必要であり、同時にそれは誇りでもあった。刀を取り上げられることは日本人にとって最大の不幸だった、とポルトガル人のルイス・フロイスは記録している。

この時代、刀はたんに人を切るものではなく、それ以上の意味を与えられていた。刀はむしろ、悪を切るものだった。刀に込められたこの両義性こそが、武士道の本質だと考えられる。

刀を持つ者は、知恵を持たねばならなかった。むやみに暴力を振りまくのではなく、それを自分の意志で制御することが求められた。そうした知恵のある者だけが、悪を討つことができたのである。このような、武力と知恵を不可分のものと考える理想像を共有することが、武士道なのではないか。

武器と知恵

そして、その武士道の起源は仏の教えにある、と私は考える。

仏の教えはよく車輪にたとえられる。初転法輪とか、教えの輪という言い方をする。この場合の車輪とは、武器のことである。古代インドでは、車輪を武器として用いていた。その具体的な使用法は明らかになっておらず、戦車の車輪とも投擲武器とも言われるが、日本における刀と同様に、インドでは車輪が武器の代表だったのである。

なぜ仏の教えが車輪なのかというと、仏の知恵が人間の愚かさを打ち砕くさまは、あたかも車輪が敵をなぎ倒すようだったからである。教えの車輪は、あらゆる悪を打ち滅ぼす最強の武器であった。ここに、武器と知恵の両義性の起源がある。

そもそも仏陀自身が、カピラヴァストゥに居を定める釈迦族の王子であった。その釈迦族はクシャトリアの一員であり、戦士階級として民衆を支配する立場にあった。つまり、仏陀はもともと武士だったのである。

その武士の始めた宗教が日本に伝来し、長い年月をかけて日本人の精神を陶冶し、武士道を作り出した。ということは、仏陀が武士だったのではなく、武士が仏陀のまねをしていたのである。日本的な武士像の原型は、仏陀その人に他ならない。

ゆえに、武士道の起源は仏教にあり、それは仏教そのものである、と結論できる。江戸時代の平和を支えたものは仏教であり、明治以降の平和の喪失は廃仏毀釈の結果であった。

文明とは仏の教えであり、
野蛮とは仏を知らないことである。

知恵とは仏の教えであり、
無知とは仏を知らないことである。

これが破邪顕正である。

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