いま、日本人は苦しんでいる。円安で輸入品の値段は上がり、原材料費や燃料費の高騰により日用品の価格は上昇し続けている。社会保障費は年々増加し、昨年の政府の税収は過去最高を記録したという。税金が上がる一方で賃金は上昇せず、くわえて物価高により家計はますます厳しくなっている。
そんな状況だから、国民の不満が爆発するのも無理はない。昨年の衆院選では手取りの増加を謳った国民民主党が勢力を拡大し、有権者が生活に苦しんでいる実態が浮き彫りになった。そしていま、日本人の怒りは財務省に向かっている。
この流れに水を差すようだが、財務省を解体しても状況は変わらないだろう。なぜならば、日本が苦境に陥っている原因は少子化にあるからである。
なぜ社会保障費が増加するのか。それは高齢化のせいである。なぜ経済が低迷するのか。それは労働人口が減っているせいである。日本円の力が弱くなっているのも、日本経済の体力が低下していることが原因であり、それは少子化が続く以上は避けられないことである。しかもこれから人口減少は加速するので、経済の弱体化に歯止めはかからないだろう。
我々がいま経験していることは、まだほんの入り口にすぎない。我々は地獄の入り口に立たされているのである。いまはちょうどジェットコースターが頂点を過ぎたところで、これから急降下がはじまる。日本社会はまさに崩壊するだろう。我々が立っている足元の地面が崩れはじめ、有史以来人類の味わったことのない破局を経験するだろう。それは太平洋戦争をはるかにしのぐ災厄である。
私はいままで、この問題をどうでもいいことだと考えていた。少子化によってこの国がどんな目に遭おうとも、知ったことではない。私の仕事を無視し続けてきたこの社会に怒りを感じることはあっても、恩義を感じたことは一度もないからである。
だが、いまはちがう。私はこの社会に責任を感じはじめている。たぶん歳のせいだろう。私をとりまく状況は何も変わっていない。私には家族もなく仕事もなく、守るべきものは何もない。しかし、なぜだかわからないが、いまの状況に責任があると感じている。私がいま苦しい状況に置かれているのも、この国の未来を真剣に考えてこなかったせいではないかと感じている。
私は答えを知っている。何をすればいいかを知っている。少子化を解決する方法については前回書いたので、繰り返す必要はないだろう。
破局を避ける方法はない。我々の社会は確実に終わりをむかえる。そのさきに新しい社会を作ることができるかどうかは、いま我々が何をするかにかかっている。いま適切な対応をしておけば、20年後に灰の中から復活する道が見つかるはずだ。
私は、この考えを人に伝えなければならないと感じている。だからこうして文章を書く。誰かに伝わればいいと思いながら。