アヘン戦争史観

アヘン戦争は1840年に起きたが、その影響は百年以上続いた。林則徐の建策によってアヘンの禁輸を断行した中国政府だったが、イギリス軍の攻撃に慌てて林を解任し、南京条約を結んだ。これによって中国政府はアヘンの売買を公認したこととなり、イギリス人は以後百年の間、中国国内で自由にアヘンの商売を行うようになる。

これが終わりを迎えるのは日中戦争によってである。日本軍の中国占領に伴い、イギリス人は中国での行動を制限されるようになった。このとき、イギリス人の代わりに日本人がアヘンの商売を始めたという話もあるが、問題はそこではない。アヘンという金づるを失ったことで、イギリス政府がどのような行動に出たか、という話である。

イギリス政府は当然、日本を排除しようとした。彼らは蒋介石を支援し、日本に立ち向かわせようとしたのである。だが、蒋は日本との戦いにあまり興味がなく、むしろ共産党との戦いに熱心だった。これでは日本を追い出すことはできない。しびれを切らしたイギリス政府は、日本との直接対決もやむなしと考えるようになった。

私は詳しくないのだが、どうやらアメリカ人もアヘン商売に深く関わっていたようである。というのも、日中戦争の勃発を受けて、イギリスだけでなくアメリカも蒋を支援し始めたからである。むしろアメリカのほうが熱がこもっていたと言える。それは決して中国人に同情したためではなく、彼らの儲けを日本人に奪われたことが口惜しかったからに他ならない。

時の大統領フランクリン・D・ルーズベルトの母方の祖父は、中国でアヘンの商売をしていたと言われる。その財力によって、ルーズベルトは大統領に就任した。アメリカの大統領選挙は非常にお金がかかるので、相当な資産家でなければ選挙に勝つことはできない。彼はアヘンの力によって大統領の座を獲得したのである。

こうして見ると、中国人よりも欧米人の方がアヘンの虜になっていたように思われる。麻薬の力にいざなわれるように、やがて英米は日本との戦争に踏み切ることになる。太平洋戦争開戦の経緯については、すでに詳しく述べたので割愛する。

我々が言えた義理ではないかもしれないが、アヘン戦争は多くの中国人の人生を奪った国家的犯罪行為である。その規模と影響の大きさに関して言えば、ナチスが行ったホロコーストすら比較にならない。その背景に中国人への差別意識があったことも明らかである。鍵十字がタブーであるなら、ユニオンジャックもタブーでなければならない。

参考文献

谷光太郎『ルーズベルト一族と日本』中央公論新社 、2016

この本によれば、ルーズベルトの母方の祖父は、清国から麻酔用のアヘンを輸入し、財をなしたという。

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