亜米利加物語・補遺

1. 絶対戦争

戦略家クラウセヴィッツによれば、戦争は必ず「絶対戦争」に帰着する。純粋な戦争は、敵を皆殺しにするまで終わらないものである。あるいは、自国の力が尽きるまで戦いは続く。これが、ヨーロッパ人の戦争に対する観念である。

絶対戦争は、目的のない戦争と言ってもいい。仮に、何らかの目的をもって戦争を始めた場合、その目的の達成度によって、途中で戦争を切り上げることも可能になる。目的を80%は達成できたので、これで十分だろう、とか、50%は達成できたが、これ以上は体力が持たないので手打ちにしよう、とか、妥協点を見つけることができる。しかし、そもそも目的を持たないのであれば、妥協のしようがない。相手を殲滅するか、自分の体力が尽きるまで、果てしなく戦争を続けるはめになる。それが絶対戦争である。

このように考えると、太平洋戦争において、連合国は絶対戦争を戦っていたことが分かる。一切の妥協を許さず、戦争の継続が不可能になる事態が生じるまで、敵の殲滅を続けるという、クラウセヴィッツの予言した純粋な戦争である。これは理性なき戦争と言ってもいい。戦争を制御する目的や理性を持たずに、盲目的に暴力を行使する最も野蛮な戦争の形態である。

しかるに、日本側に明白な目的があったことはすでに述べた。日本軍は絶対戦争を戦っていたわけではなく、あくまで理性の範囲内で、政治目的を達成するために戦争を行っていた。ここに大きな食い違いがある。問題は、この彼我の違いを、お互いがどれだけ理解できていたか、ということである。

連合国、とくにアメリカにとっては、戦争が敵の殲滅を意味することは自明だったので、日本側も当然、アメリカ人の殲滅を目指すものと想定していた。というより、何の想定もしていなかったと言うべきだろう。戦争とは盲目的な暴力の発露であり、それ以外の戦争がありうるとは想像できなかったのである。

それに対して、日本人の中には大小さまざまな違いがあった。大雑把に言って、海軍の人々は絶対戦争に近い考え方をする傾向があり、また、アメリカが絶対戦争を戦うだろうことを理解していた。そのため、彼らはアメリカとの戦争に強く反対した。アメリカとの戦争に落としどころがないことを知っていたのである。

一方、陸軍の人々は合理的な考え方をする傾向が強く、敵も同じように合理的な思考をするものと想定しがちであった。そのため東条英機などは、敵さんも適当なところで戦争を切り上げるだろう、とたかをくくっていたと考えられる。つまり、敵に対する理解が足りていなかったのである。

日本側で最も正しい理解を示していたのは、石原莞爾であった。彼の最終戦争論は、アメリカとの戦争が絶対戦争の形をとるという予想に基づいており、それならば、日本から絶対戦争を仕掛ければよい、と論じるものであった。開戦劈頭、アメリカ全土に大量破壊兵器を投下して、アメリカ人を絶滅させるほどの打撃を与え、これによって一挙に戦争を終結に導く、という構想である。

おそらく、これが唯一の正解であった。アメリカ人が理性を持たない以上、こちらもそれを想定した上で、相手を負かす方法を考える必要がある。アメリカ人の性向を理解した海軍の考えは惰弱に過ぎ、また、それを無視した陸軍の考えは楽観的に過ぎた。この両者を総合し超克したのが石原の最終戦争論だったと言える。

一般にヨーロッパ人は、死に直面したときに理性を失う傾向がある。死を理性によってとらえることができない、と言ったらいいだろうか。死という超越的なものに直面したときに、理性を放棄するのが正しい姿勢である、と信じているようなところがある。

これはおそらく彼らの宗教に関係していて、人間の生命に絶対的な価値を見出す「生命教」たるキリスト教のもとでは、人間の死を理性の対象とすることができなくなってしまうのである。人間の生命はいわば無限大の価値を持っており、これが計算式の中に入ってくると、計算結果が発散してしまい、合理的な答えが得られなくなってしまう。その結果、死に対して理性的な態度をとれなくなる。

戦争は人間の命を賭けた神聖な行為であるから、これを合理的な目的をもって行うことは不敬である、という歪んだフェアネスがアメリカ人の中にはある。それが絶対戦争を導いてしまうのである。

2. 皇帝の徳

私は本文で、中国人はアヘン戦争のときにイギリス人を追い払うべきだった、と書いたが、そうではないかもしれない。中国皇帝の果たすべき役割とは、異民族を追い払うのではなく、これを教化し文明を与えることである。したがって、非道を行うイギリス人を皇帝の徳によって馴致し、その性格を正しい方向に導くべきだった、と言える。

中国人に想像できなかったことは、皇帝による教化を受け入れないほどに、歪んだ考えに凝り固まった野蛮人が存在したということである。中国文明が誕生してからすでに数千年が経っているというのに、いまだ皇帝の徳に触れず、いっさい文明の教化を受けていない人間が存在するとは、ありうべからざることであった。

その予想外の事態に対処しきれず、大清皇帝は、皇帝としての徳を発揮し損ねてしまった。イギリス人を教化できなかっただけでなく、中国全土をヨーロッパ人に食い荒らされてしまったのである。彼はこのとき、天子の位を失ったと考えるべきであろう。

アヘン戦争を行ったイギリス人が野蛮人と呼ばれるべきであることに、議論の余地はない。これほど野蛮なことを行っておきながら、彼らは、自分たちは中国人よりも優れていると思い込んでいた。

ヨーロッパ人は、野蛮な振る舞いをすることを野蛮だとは思わず、貧しい生活をすることを野蛮だと考える。そのため、発達した技術や産業によって裕福な生活が可能になったことで、自分たちは文明的なのだと思い込んでしまった。そして、野蛮な行為によって貧乏人を苦しめることは、文明人の正当な権利だと考えるようになった。それがアヘン戦争である。

イギリス人が皇帝の教化を必要とする野蛮人であることは、このことからも明らかである。同時に、このときにイギリス人が抱いていたのと同じような錯誤を、中国人が抱いていた可能性は十分にあると思う。皇帝自身が文明と贅沢を取り違えていたために、イギリス人を教化する資格を失ってしまったのだろう。

質素であることが文明的なのではない。文明とは悪から離れることである。

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