V. 倭国と隋の外交政策

法華経

法華経は不思議なお経である。大した内容もなく、たとえ話だけが延々と続く。私が初めて読んだときには、ただ言葉の響きに圧倒されるだけで、何が書いてあるのかよく分からなかった。 しかし、しばらくするとまた読みたくなる。そうして何度も読んでいるうちに、少しずつその教えが心に染み込んでゆくのである。読む人によ...
仏教
V. 倭国と隋の外交政策

相互確証破壊

核兵器の相互確証破壊は、戦略として成り立っていない。そもそも、報復攻撃が抑止力になるという考えには何の根拠もない。もしも、死を恐れない敵がいたならば、相互確証破壊は無効である。だが、死を恐れるような軍隊は初めから敵ではない。 ここで問題となるのは、次の二点である。まず、敵国の一般市民を標的とする攻撃...
軍事
V. 倭国と隋の外交政策

民族主義

前世紀の日中戦争に見られるような、民族主義によって戦争が過激化するという現象は、西洋文明がもたらした惨禍の一つである。中国には、もともと自民族中心主義ともいえる中華主義が存在したが、その傾向は、西洋的な民族主義の影響によってさらに過激なものとなった。  西洋人は存在にこだわる。何かが存在するという考...
思想歴史
V. 倭国と隋の外交政策

大清国について

大清国は伝統的な中国王朝の一つに過ぎなかった、というのは、中華主義を宣伝しようとする中国人の屁理屈である。 たしかに、清代の中国でも科挙は行われていた。しかし、それによって役人に採用された漢人が関与できたのは、中国の政治だけであった。彼らは、大清国全体の政治に与れたわけではない。つまり、清国そのもの...
中国歴史
V. 倭国と隋の外交政策

倭国と隋の外交政策

1  聖徳太子が隋の皇帝に送った国書に関しては、様々な議論があるようである。しかし、この問題は、中国と日本の二国だけの問題ではない。この時期の東アジア全域の国際関係に、目を向ける必要がある。  南北朝から隋の時代にかけて、東南アジアを含むアジア諸国の間で、仏教的な形式をとった外交関係が顕著に見られる...
中国仏教歴史
V. 倭国と隋の外交政策

権力について

権力に制限を付けるべきではない。権力は無制限でなければならない。 能力のある人間に良い仕事をさせるためには、余計な条件を付けるべきではない。そういう人間には、好きにやってもらった方がいい。  最近の傾向として、何にでも厳しい条件を付けたがる人が多い。多くの労働者を、ある一定のルールに沿って働かせるな...
政治
IV. AIと哲学

食文化

沢庵を作るときには、大根はよく干したほうがよい。スーパーで売っている沢庵の多くは、大根を十分に干さずに調味液に漬け込んでいる。だが、干してから漬け込んだ方が、大根の旨みが凝縮されるし、食感もよくなる。 塩鮭も本当は、鮭の身に塩を擦りこんで、しばらく寝かせておいたほうがよい。そうやって作った新巻鮭は、...
文化
IV. AIと哲学

環境保護

1  人間が地球環境を破壊している、とよく言われる。そして、自然環境を保護するべきだ、ということもよく言われる。しかし、そもそも人間には、自然を破壊する能力などない。我々はただ、我々自身の生活を破壊しているだけである。 たとえば最近では、海洋におけるプラスチック汚染が問題となっている。海洋中にマイク...
環境問題社会
IV. AIと哲学

科学者の責任

1  地球温暖化の原因は二酸化炭素である、ということを否定しようとする人間は、たとえばこんなことを言う。 いわく、地球の歴史上、気温の変動は絶えず起きていることである。恐竜が生きていた時代には平均気温は今よりも十度高かったし、氷河期には五度低かった。そのように気温の変動は常に起きているので、現在起き...
環境問題科学
IV. AIと哲学

因果律と論理学

1  ときどき、因果関係を論理的な関係と誤解している人がいる。しかし、因果律を論理によって捉えることはできない。 アリストテレス以来の論理学の伝統は、普遍と個物に関するものである。いかにして個物を普遍的な名辞と結びつけるか、という問題が論理学の本質である。 一方で、因果律の本質は場合分けである。同一...
環境問題