VII. 遊牧民の世界史

最近の中国について

1 以前、上野の博物館で故宮博物院展というのをやっていて、見に行ったことがある。かなりすごかった。国宝級の文物が惜しげもなく公開されていて、圧倒された覚えがある。あれは中国そのものだった。 故宮博物院が台湾にある意味は大きい。あれがある限り、台北は中国の首都だと言ってよいと思う。共産党が台湾にこだわ...
中国
VII. 遊牧民の世界史

宗教と歴史

1 文化の違いが相互理解を阻むということは、よくあることである。日本人の場合、戦争の巧みさで他の人々を評価するところがある。このあたりが、宗教的な人間には理解しにくいらしい。 キリスト教やイスラム教では、戦争や暴力を軽蔑するところがあって、そういう話をあまり好まない。ペルシャ人などは、昔はキュロス大...
宗教歴史
VII. 遊牧民の世界史

朝鮮半島

1 太平洋は広い。広大である。その太平洋を挟んだ反対側にある極東において、アメリカの政治的な力が発揮されるということが、本当にありうるだろうか。 極東におけるアメリカの力は、本質的には日本の力である。日本が発揮する力に、アメリカという名札を貼り付けただけの、いわば産地偽装商品である。 朝鮮半島の政治...
歴史
VII. 遊牧民の世界史

遊牧民の世界史

1 遊牧民の世界と中原とは、おそらく不可分のものである。古来、遊牧民の活動が中国の農耕民に影響を与え、また逆にその影響を受けてきた。 遊牧民といっても、彼らだけで自足できるわけではない。羊を引き連れて生活するために、タンパク質が不足することはないが、穀物は農耕民から手に入れるしかない。そのため、彼ら...
中国歴史
VI. 仏教と表現

社会を変える

社会を変えようと思う必要はない。我々が何もしなくても、それは勝手に変わる。バナナは放っておけば黒くなるし、ジャガイモは放っておけば芽を出す。それは、誰かが手を加えたわけではない。 それと同じように、この世界にあるものはすべて、それ自体の性質として常に変化し続けている。だから、何かを変えようと努力する...
社会
VI. 仏教と表現

復興と経済

1 東日本大震災から九年が経ったが、被災地の復興は遅々として進んでいない。私が思うに、原因は過疎化である。被災した地域の大部分は震災前から過疎化が進み、経済が回らなくなっていた。そこへ震災が起きたせいでさらに人口が減り、これらの地域は回復不可能なほどの打撃を受けている。 だから、被災した地域を元に戻...
社会経済
VI. 仏教と表現

戦争責任と慰霊

1 日本人はもしかすると、加害者と同化することによって、自分が被害者であったことを忘れようとしているのかもしれない。 日本はかつて欧米による侵略の被害者であった、というか被害者になりかけた。結局、戦争によってそれを退けることができたのだが、その被害者としての記憶を忘れるために、自分は加害者だと思い込...
歴史
VI. 仏教と表現

仏教徒は神に祈るべきか

1 日本では神仏習合があたりまえだったので、仏教徒が神に祈ることもそれほど珍しくない。しかし、スリランカから来た坊さんなどには、やはり奇異に思えるらしい。 まず基本的な言い訳から始めれば、日本の神様は仏教の守護神だということになっているので、仏教徒が神に祈りを捧げても問題はない。間接的に仏陀に祈りを...
仏教
VI. 仏教と表現

日本の批評

1 東浩紀は日本的すぎる。彼の哲学は西洋の正統から逸脱している。彼の批評の対象からも、それは読み取れる。 しかし、どうも本人はそのことに気付いていないようである。自身の思想の異常さ、西洋的な立場から見たときの異常さに無自覚であるらしい。彼はラカンや何かについてもっともらしく語るが、思考はすぐにそこか...
思想文化
VI. 仏教と表現

仏教と表現

1 仏教では、言語表現を大事にする。もちろん、言語に限らずどんな方法でもよいのだが、自分が手に入れた悟りを言葉で表現する、他者に伝えるということが非常に重視される。 禅の語録などを読んでいると、速やかに言え、という言葉がよく出てくる。それは、悟りを表現してみろ、ということであり、それができて初めて悟...
仏教