仏教

I. 科学と信用

伝統とは何か

1伝統というものがどこかにある、と考える人がいるようだ。日本の伝統だとか和食の伝統だとか、ありとあらゆるものに伝統を見つけないと、気がすまない人々がいる。これも一種の二元論である。伝統を求める人々は、自分は伝統の中にいない、と考えている。自分は新しい人間であって、古い人間とは断絶している、と思い込ん...
仏教文化
I. 科学と信用

浄土について

1浄土、浄土と言っても、浄土という言葉に対応する実体がどこかにあるわけではない。すべての言葉は空であって、中身がない。ある言葉に意味があるということは、その言葉に対応する何らかのものが存在するということではなく、その言葉が何らかの働きをなしうるということである。ソシュールの記号論では、記号の表現と、...
仏教記号論
小論集1

親鸞について

1  親鸞の思想的な先駆者は、法然ではなく、明恵だと思われます。なぜならば、明恵による念仏宗批判の最も重要な部分を、親鸞はそのまま受け入れているからです。そして、その上に、全く新しい念仏宗の基礎を築きました。浄土真宗は、他のいかなる浄土宗とも異なる、真実の宗教です。  明恵の批判は原理的なものでした...
仏教
VI. 仏教と表現

仏教徒は神に祈るべきか

1日本では神仏習合があたりまえだったので、仏教徒が神に祈ることもそれほど珍しくない。しかし、スリランカから来た坊さんなどには、やはり奇異に思えるらしい。まず基本的な言い訳から始めれば、日本の神様は仏教の守護神だということになっているので、仏教徒が神に祈りを捧げても問題はない。間接的に仏陀に祈りを捧げ...
仏教
VI. 仏教と表現

仏教と表現

1仏教では、言語表現を大事にする。もちろん、言語に限らずどんな方法でもよいのだが、自分が手に入れた悟りを言葉で表現する、他者に伝えるということが非常に重視される。禅の語録などを読んでいると、速やかに言え、という言葉がよく出てくる。それは、悟りを表現してみろ、ということであり、それができて初めて悟りを...
仏教
V. 正義とは何か

吉本隆明と誹謗正法

吉本隆明は、麻原彰晃も念仏さえ唱えれば極楽へ行ける、と言った。なぜかといえば、浄土真宗の開祖親鸞によれば、たとえ五逆の罪を犯した者でも、念仏によって極楽へ往生できるからである。ここで問題とされているのは、弥陀の誓願の第十八、念仏往生の願の後半に現れる「ただし、五逆と誹謗正法とを除く」という一文である...
仏教
IV. 日本の平和

徳は教えられうるか

プラトンは、対話篇『メノン』において、徳は教えられうるか、という問題を提起している。そこでは明確な回答が与えられているわけではなく、また、哲学者がこの問いに答えられたためしはない。しかし、その問題はすでに仏陀によって解かれている。徳を教えることはできる。それは物乞いによってである。徳とは憐みの心であ...
仏教思想
III. 北京語と漢文

善と利益

1日本人が利に聡いと言うと、不審に思う人もいるかもしれない。日本人は人がいいので損ばかりしている、というイメージを持っている人もいるだろう。しかし、善を為すほど利益になることはない。善を為すほど、人の立場は強まる。悪事を為して利益を上げようとする人間は、その言い訳をしなければならなくなる。それだけで...
仏教文化
III. 北京語と漢文

日本人の道徳

1聖徳太子は十七条憲法の第二条で、仏法は「万国の禁宗」であると述べている。これは、仏法が、あらゆる国に通用する普遍的な法であることを宣言しているのである。太子はこの認識に基づいて、隋の皇帝に「日出処の天子」から始まる有名な国書を送った。皇帝の反発によってこの試みは失敗に終わったが、国書の目的は、日本...
仏教歴史
II. 男女平等とは何か

キリスト教と仏教

1キリスト教は実在しない。キリスト教という宗教が存在する、という考えそのものが迷信である。あえて定義しようとすれば、キリスト教徒とは、不合理な考えを信じる人々である、とでも言うしかない。というのも、キリスト教徒とは、何らかの決まった考えや信仰を持つ人々の集まりではないからである。たとえば、キリスト教...
仏教宗教